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「AIの遺電子」で気になった話

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情報管理LOGの@yoshinonです。
ここ最近の中で、「AIの遺電子」という漫画が、好きな漫画の一つになっています。
短編オムニバス形式なのですが、AIやヒューマノイド、ロボットなどが共存する社会を描いた作品です。
今回は、その「AIの遺電子」において、気になった話について、掘り下げてみたいと思います。


  
【 AIの遺電子で気になった話 】  

 1.「AIの遺電子」とは、どんな作品か

 2.「AIの遺電子」で気になったお話

 3.謎のおばさんがもたらすもの







checkmark.png 1.「AIの遺電子」とは、どんな作品か

上でも書きましたが、最近好きな漫画の1つが「AIの遺電子」です。現在、4巻まで出ています。




こちらが、最新巻。



この「AIの遺電子」というのは、AIやヒューマノイド、ロボットなどと人間が共存する社会で、ほぼ人と見分けがつかない形でそれらが、生活しているというのが、前提となっています。いわゆるポスト「攻殻機動隊」・「アップルシード」のような作品ですね。




しかし、その中で繰り広げられているのは、AI版ブラックジャックというか、AIやヒューマノイドの人間模様(?)を描いたものになっています。ちなみに、ヒューマノイドというのは、この漫画の中では、脳の構造を人間と同じように再現し、人間と同じ権利を持つものとしています。よく考えたら、なかなかファンキーな設定だと思いますよね?

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また、AIもこの作品には、実に様々な形で出てきます。
この作品の中では、シンギュラリティ後というような設定(そのようには書かれていませんが、そうとしか考えられない)で、人間を越える判断や能力を持つ存在として「超高度AI」なども登場しています。

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また、人間も脳の中にインプラントを仕込み、VRを使いこなしています。

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こういう世界観の中で物語が動いているという前提で以下をお読みください。
注:以下はネタバレを含みますので、もしもまだ読んでいないという方は、気をつけてください。






checkmark.png 2.「AIの遺電子」で気になったお話

「AIの遺電子」は、どの話しもオチがきちんとしていて、ストーリーテーリングに感心してしまいます。しかし私は、いくつか気になったことがありました。ストーリーに難癖をつけたいのではなく、むしろその物語が内包することに、考えさせられたのです。

その話しには、時々ある共通した人物が登場します。
それが、このおばさんです。

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このおばさんは、暴力を振るう男とつい付き合ってしまう女であったり、人生を変えたいと願うダメ男だったりの前に現れます。

例えば、この女の人は、すぐに暴力を振るってくるようなダメ男を好きになってしまう人なのですが、このおばさんに出会い、「頭の中をいじらせて」しまいます(ヒューマノイドなので、物理的に脳に直接アクセスできる)。

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しかし、そのおかげで今まで恋愛対象にならなかったような癒し系な男子と付き合い人生が変わっていきます。

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なぜ、そのようなことが可能になったのかは、本編を読んでいただきたいのですが、行われた事実を知り驚きはするもののそれを受け入れていきます。

また、DQN(最近、聞かない表現ですが)なこの男の人は、自分の人生を変えたいと願い、同じように頭をいじらせます。

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「元に戻りたいとあなたが思ったら、いつでも戻すから」という言葉を信じて。

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すると、今まで興味を持たなかったことに興味を持ち、学習への意欲も高まり、今まで魅力的に見えていた世界がつまらないように感じていくのです。外見や服装も変え、別人のようになっていきます。

この時には、もうすでに過去の自分に戻りたいとは思わなくなっていました。という話でした。

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checkmark.png 3.謎のおばさんがもたらすもの

さて、私はなぜこれらの話が気になってしまったのか?
たぶんですが、

パーソナリティにおける同一性の保持が揺らぐから

かと自己分析しました。もっと平易に表現するならば、

それは、もはや自分とはいえないのではないか?

でしょうか。

攻殻機動隊2.0において、主人公の草薙素子は、次々にボディ(義体)を乗り換えていきます。義体は、本体にある脳のリモートで動いているという設定ですね。だから、どこでもドアのように、地球の裏側でも瞬時に乗り移ることができるのです。

そこでは、彼女のパーソナリティは、ボディにはなく、ゴーストにあるとしています。
脳の働きを完全にビット置き換えることができるならば、それは可能な未来かな?と思っています。
そこでは、例え見た目が全然違う人のボディに入っても、思考する主体の存在は揺らぎません。しかし、思考する主体そのものをいじることができるならば、どこにその人自身の主体は存在することになるのでしょうか?

謎のおばさんは、「元に戻りたいと、あなたが思ったら、いつでも戻すから」と言いました。しかし、その元に戻りたいかもしれない主体が変化してしまえば、そう思うことすらなくなるというパラドックスをはらんでくるのです。

もしも、精神の整形が可能になる未来が訪れることがあるならば、それは笑い事では済まされない未来になりそうです。その当人たちは、何も思わないでしょうが。





eyeglass2.png 情報管理LOGの眼
 とはいえ、ゆく川の流れは絶えずして~ですが

昨日の自分と今の自分は完全に同じか?

という問いに対して、皆さんはどう答えますか?
私は、微少ながらも差分が生じているので、完全には同じではないと答えると思います。でも、そういう日々の揺らぎ(体調や気分)によって、日々ほんの少し違うけれども、その揺らぎそのものの幅も含めて自分であるとも言えます。

では、10年前の自分と今の自分は完全に同じか?

この問いには、たぶん即座にノーと答えそうです。
今よりも10歳も若く、知識や経験も10年分失われた状態は、今とは同じとは言いがたいです。自身の根幹となるコア部分は、大きな揺らぎは無さそうですが、それでも今より違うだろうと思います。

そう考えると、「自分」であると考えているものは、案外可変的なものなのかもしれませんね。

”ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。”
鴨長明の方丈記より。



年賀状が生き残るアイデアについて考えてみた

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情報管理LOGの@yoshinonです。
年賀状の当選番号も発表されて、確認している人も多いことでしょう。でも、数年前と比べて年賀状のやりとりする人の数が減ってきたような気がします。というか、減りました。実際、自分もLINEやFacebookで新年の挨拶を済ませてしまったりしています(年賀状も出してるけど)。

今回は、実現可能かとかそういう野暮な話は、置いておいて、年賀状の生き残りのアイデアを書いてみたいと思います。


  
【 年賀状が生き残るアイデアについて考えてみた 】  

 1.年賀状の発行枚数は減ってきている

 2.年賀状の置かれている状況を考えてみる

 3.年賀状生き残りのアイデアを3つ挙げてみる







checkmark.png 1.年賀状の発行枚数は減ってきている

まずは、こちらのツィートに出ているこのグラフをご覧ください。




ピーク時からかなり減っていますね。
さらに詳しいグラフは、こちらのページに載っています。

年賀葉書の発行枚数などをグラフ化してみる(2016年)(最新) - ガベージニュース
年賀葉書の発行枚数などをグラフ化してみる(2016年)(最新) - ガベージニュース




2003年がピークで、およそ44億枚という枚数が発行されていました。そして、2017年は30億枚にまで(実際は、さらに少ない模様)減少しています。

私自身としては、年賀状は送られてきたら嬉しいけど、LINEやFacebookでも嬉しい派です。
あと、書くのが、そろそろ面倒くさくなってきている派ですね。




checkmark.png 2.年賀状の置かれている状況を考えてみる

では、そんな年賀状というシステムを自分なりに分析してみます。

縦軸を金銭、横軸を手間(時間)というようにして、マトリックスに配置してみました。

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分かってはいたけど、こうやって見てみると、圧倒的なコストパフォーマンスの悪さが目立ちますよね…。

他にも「心がこもっている」「温かみが感じられる」という指標も考えてみようとしました。しかし、実際問題として、向こう側に「人を感じられるか?」という点で考えてみると、昨今の

PCや印刷屋さんで印刷→コメント無しで投函

という人もいるので、メールやLINEよりも「人」が感じられなかったりするものもあるのです。
ただ、手書きの文字が添えられているという点に関しては、他の対象よりはアドバンテージが感じられなくもないです。





checkmark.png 3.年賀状生き残りのアイデアを4つ挙げてみる

とはいえ、1990年代ぐらいからケータイでのメールが一般化してきた時点で、こうなることは見えていました。むしろ、2003年にピークがあったことに、逆に驚いているぐらいです。

かのビル・ゲイツが、

「人と人のコミュニケーションに関わるコストは、限りなく無料に近づくだろう」

という予言(うろ覚え)をしたことは、現在進行形で限りなく近づきつつあると言えます。

では、どうすれば、年賀状を生き残らせることができるか?

いやいや、そもそも生き残らせる必要ないし!

とか言う人もいるかもしれませんが、あくまで思考実験して考えてみてください。これと同じ構図って、様々な業界に横たわっていませんか?かつては、それで十分な成果が上げられていたのに、テクノロジーによって圧倒的にコストが下がり、それまでの方法論が通用しなくなってしまう業界って、たくさんありませんか?
だからこそ、年賀状生き残りのアイデアを思考実験として考えることに意義があると思うのです。

というわけで、法律やら様々なことを度外視して、思考実験的に3つのアイデアを考えてみました。もう一度言っておきますから、あくまで思考実験です(こう書かないとうるさい人がいるので)。


1.宝くじ的要素を超強力にする
最近の年賀状の景品ってしょぼくないですか?これが、今年の商品ですからね。

 ・現金10万円など
 ・ふるさと小包など
 ・お年玉切手シート


しかも、バリエーション少ない。これでは、インセンティブには全くなりません。

そこで、この「お年玉付き」というのを、超強力にして1等賞金を1億円ぐらいにしてはいかがでしょうか?お年玉というよりは、宝くじ的要素が強くなってしまいますけど。
そうすることによって、「年賀状を出さないけど、自分のために買う」みたいな層も出現するかもしれませんよね。なにせ、年末ジャンボよりも1枚あたり安く買えるのですから。その場合、年賀状は買いきりで、あとで換金不可とか色々な条件整備は必要でしょうけど。


2.広告やクーポン付き年賀状をつくる
年賀状の値段を極端に下げてみましょう。無料または半額以下で実現するために、広告やクーポン付き年賀状を作成するというのはいかがでしょう?
企業としても大量に人々が勝手にばらまいてくれるという面もあるし、発送先の地域に合わせて、広告枠の部分に(郵便局が)クーポンを印刷することで、地元の企業からの支援を受けやすくするというのもありです。宛名面の半分ぐらいが、広告でも別に良いかと思う人案外多そうな気がします。また、その地域にあったクーポンが印刷されるならば、逆に喜ばれそうな気もしますよね?
※広告付き年賀状というのは、もうすでにあるのですが、それを郵便局の窓口でももらえるようにする。


3.自動で年賀状を出してくれる
ネットで年賀状を作成、発送代行サービスというのがあります。

ネットで年賀状™ スマホで年賀状™2017 - デザイン作成から印刷、配送までが簡単!
ネットで年賀状™ スマホで年賀状™2017 - デザイン作成から印刷、配送までが簡単!




ウェブポ - 年賀状印刷2017 | 作成から印刷、投函まで、年賀状のぜんぶをネットで
ウェブポ - 年賀状印刷2017 | 作成から印刷、投函まで、年賀状のぜんぶをネットで




これは、日本郵政とタイアップしてやっているのですが、なかなか先進的です。
スマホネイティブを捉えようという気概が感じられますよね。

でも、ちょっと違うのですよ。
例えば、日本郵政のHPにある住所が分からない人にも送れるサービスとして、このようなことを展開しています。

住所が分からなくても送れるサービス|郵便年賀.jp
住所が分からなくても送れるサービス|郵便年賀.jp




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①送りたい人のアドレスを選ぶ
②友達に事務局からメッセージが届く→受け取りOKで発送
③お友達に年賀状が届く


という仕組みなのです。
でもさ、よーく考えて欲しいのですが、私はLINEはリアルの知り合いしかいませんが、そうではない人同士だったら、こういうやりとりの方が自然じゃないですかね?

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このYES or NO のあたりの仕組みをLINEと整備する良いのではないかと思うのです。


4.好きな絵師さん、漫画家さん、芸能人から年賀状が届く
「年賀状を送る」ものという概念を180度転換して、「年賀状はもらう」ものにしてしまうのです。もちろん、有料で(ハガキ代+ちょっとぐらい)。

例えば、中高生だったら、pixivとかで好きな絵師さんから書き下ろしの年賀状が届いたら嬉しいはずです。または、自分が好きな漫画家さんの書き下ろしの年賀状が届いたら?さらに、QRコードがついていて、もらった人しか読めない書き下ろし漫画が読めたら?
芸能人の未公開写真の年賀状が届いたら?そして、QRコードを読むと、動画メッセージが再生されたら?
と考えると、需要ありそうな気がしますよね。

この仕組みの良いところは、応援している絵師さんや漫画家さん、芸能人に買われた枚数分だけ、きちんとその方々にマージンが支払われるということです。

そうすると、ファン心理の「応援したい」という気持ちが、大きく動くはずです。
さらに、その方々が、ブログとかで「1万枚達成しました!」とか書けば、さらに爆発的に動く可能性もあるかもしれません。
ほら、これと似た商法あるじゃないですか?




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 発想を転換することでブレークスルーが起こるかも

最初に挙げたマトリクスを眺めるだけで、これだけのことが思い浮かびました。もちろん、それを成し遂げるには、クリアすべき課題がかなりありそうな気もしますが、何もアクションを起こさなければ、座して死を待つことに他なりません。

自分的には、4番目あたりだったら、今すぐにでもできそうな気がしますけどね。

え?それは、もはや年賀状ではないのでは?

そうかもしれませんね。
郵政事業は、年賀状を継続するのが目的ではなく、郵政事業を継続するのが目的なのですから、それで良いのです。そして、それは先ほども書いたように、他の業界であっても同じなのです。





宮崎駿と東京タラレバ娘

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情報管理LOGの@yoshinonです。
先日のNHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」ご覧になりましたか?私は、興味深く見させていただいたのですが、各所で炎上しているみたいですね。
実は、私は別の部分でやや腹が立っていました。今回は、情報管理LOG番外編ということで、番組を見て思った事などを書いていきます。なぜ?タラレバ娘って?読めば分かります。


  
【 宮崎駿と東京タラレバ娘 】  

 1.NHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」とはどんな番組だったのか?

 2.タラレバで見てしまう日本人

 3.ベンチの外は次の試合が始まっているのです







checkmark.png 1.NHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」とはどんな番組だったのか?

先日、放送されたNHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」という番組が、様々なところで反響を呼んでいます。

NHKドキュメンタリー - NHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」
NHKドキュメンタリー - NHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」






特にドワンゴの川上会長が、宮崎駿に人工知能を使って、自動で生成される生きものっぽい何か(でも人の形をしている)をプレゼンし、「動きが気持ち悪い」とか「ゾンビゲームか何かに使えるのではないか?」という発言をしました。それに対して、宮崎駿は、自分の知り合いである身障者の方を思い出し「極めて不愉快」という言葉でバッサリ切っていたというものでした。

このやりとりに関しては、こちらがコンパクトにまとまっていて読みやすいかも。

宮崎駿監督、ドワンゴ川上量生会長を一喝「生命に対する侮辱」
宮崎駿監督、ドワンゴ川上量生会長を一喝「生命に対する侮辱」





番組全体の構成としては、引退を宣言してアニメーションスタジオなどを全て閉鎖して隠居していた宮崎駿が、短編のアニメーションを作りたいというところから始まります。その中で様々な人が関わりながら、3DCGを使ったアニメーションを模索していきます(川上氏が出てきたのは、その流れの一つに過ぎない)。そうして、短編アニメーションの構想を練っているうちに現役魂が、少しずつ復活してきて、最後には長編アニメーションをやるかも?というところで番組は終わります。ざっくり書くとこんな感じです。

ネットで騒がれているのは、この一部分がけっこう大半を占めているようなのですが、私は別の観点でイラっとしていました。






checkmark.png 2.タラレバで見てしまう日本人

何にイライラしてしまったのかというと、この番組全体に対してなのです。
あえて、1行に凝縮して言うならば、

なんで、宮崎駿なの?

ですね。
わざわざ、引退した人を訪ねて、この番組は何を求めているやら…というのが、正直なところです。

さて、東村アキコさんの「東京タラレバ娘」という漫画を読んだことはありますか?




このマンガを読んだうちの奥さんの反応が、

「マジでホラーなんですけど…」でした。

実際は、グロいホラーマンガでもなんでもなく、33歳独身女性3人組を主人公とした物語なのです。
この3人が、

あの時、○○だったら

あの時、○○していれば

(彼がおしゃれだったら、彼を振っていなければ、プロポーズを受けていればetc,etc)

と、なじみの居酒屋で、いつもくだを巻いていて飲んでいたら、若いモデルの男の子に

「いい歳して『痩せたら』だの、『好きになれたら』だの、何の根拠もないタラレバ話でよくそんなに盛り上がれるもんだよな。オレに言わせりゃあんたらのソレは女子会じゃなくてただの…行き遅れの女の井戸端会議だろ。まあいいよ、そうやって一生女同士でタラレバつまみに酒飲んでろよ!このタラレバ女!!」

とまあ、かなりキツイことを言われてしまいます。
そこから、怒濤のごとく現実を嫌と言うほど噛みしめながら前へ進んでいくという話です。身も蓋もないけど、その身も蓋もなさがウケてるのかもしれません。

それが、この番組を見て感じたことと似ていたのです。

宮崎駿が、やる気を出したら

宮崎駿が、新作を出したら

宮崎駿が、今も続けていれば


という制作者サイドの「タラレバ」が透けて見えてくることに苛立ちを感じたのです。
または、想定する「視聴者は、そういうタラレバがあるでしょう?」という感じに。





checkmark.png 3.ベンチの外は次の試合が始まっているのです

東京タラレバ娘でこんなシーンがあります。それは、自分たちが、「あんな男と結婚して」とか「あんな容姿の男なんて」などと、ずっと人のことを揶揄してばかりで、自分たちは表に立って向かい合っていなかったということを、このように例えていました。
ベンチにいてヤジってばかり。

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しかし、いざバッターボックスに立ってみると、全然戦力外だったという…。アイタタタ。

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私は、宮崎駿がそうだと言っていません。むしろ、映像の中の宮崎駿は、自分の中で思う新しいことにチャレンジしようとする心をもっていました。むしろ、手塚治虫がライフワークとして取り組んでいた実験映画のように常に新しい表現を模索し、チャレンジしているように思えました。






だから、それ自体は一作家としての生き方としては、それで良いのでは無いかと思います。

しかし、彼はもうすでに公式に引退したのです。彼自身も(それが本当に辞めるつもりがあったのかどうかは分かりませんが)宣言すらしたのです。

むしろ、外野(ベンチ)でやいのやいのと騒ぐ必要すらないと思ったのです。彼が、自分の表現を追求し何らかの作品を創り上げ、もしも公表することがあったならば、その時に注目したら良いのではないかと。

そうやって、番組でタラレバやっている間にも、バッターボックスには新しい作品達が勢いをもって発表され続けています。一度成功した者の影を追い続けることは、決して豊かなものにつながりはしないのではないか?と思ってしまったのでした。
過去の栄光にすがることなく、新しい作品にどんどん向かい合っていきたいですね。

というわけで、これは観に行きたいなと思っています。



…あっ、ステマじゃないですから!






 eyeglass2.png 情報管理LOGの眼
 スポーツでもよくそういうの見るよね

外野が、タラレバ言っているものに、スポーツでもそういうの多く見ますよね。「それ何年前のコトよ?」とか、「他の選手の方が、頑張っているのに、未だにそっちを撮すの??」とかとか。

あれかな?制作サイドは、日本人は昔の栄光にすがりやすいとか思っているのかな?
だとしたら、そうでもないと自分は思うのですけど、視聴率とかを分析していくとそういう結果になっているからなのかな?とモヤモヤしてしまうわけです。






宮崎駿の「風の谷のナウシカ」の原作は、真面目に面白いのでオススメです。



人工知能に任せたら良いのではないか?と思える職業について考えてみる

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情報管理LOGの@yoshinonです。
この数年人工知能が非常に熱くなってきていますね。このままいけば、シンギュラリティもほんとうに起きるのではないかという気がしてきますね。それぐらい、世界中の知が結集して、激しく進化しまくっている分野だと思っています。
以前、今後人工知能によって失われる仕事というのが、記事として話題になっていました。

オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)



今は本当にそういうことが、起きるだろう感じがしてきています。
今回は、上記の記事によらず、もしも人工知能にこの職業を任せてみたらどうなるだろうか?という仮定をしてみました。あくまで思考実験です。異論反論大いにあるかと思います。ぜひ、考えるきっかけになるとありがたいです。


  
【 人工知能に任せたら良いのではないか?と思える職業について考えてみる 】  

 1.カスタマーサービス(主に苦情受付)

 2.裁判官

 3.医者

 4.配送業

 5.政治家や官僚







checkmark.png 1.カスタマーサービス(主に苦情受付)

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カスタマーサービスで主に苦情などを受け付ける電話窓口というのがありますよね。たいていの場合、怒りを貯めながら電話してくる人が多いので、その時点で相当なクレームになりそうなものです。また、そういうところにクレームをつけるのが、趣味という人もいるらしく、担当者も相当疲弊するそうです。
実際、厳しいカスタマーサービスは、離職率も高く、精神を病んでしまう人も多いのです。

コールセンター、離職率は9割 高いスキルが求められる現場の過酷 - ライブドアニュース
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そこで、人工音声+人工知能でカスタマーサービスを運営してみるというのは、どうでしょうか?少なくともすでに膨大なノウハウやQ&Aが蓄積されているならば、簡単な疑問や苦情に関しては、即答も可能でしょう。

実際、オンラインでのみしか受け付けないというところも出てきているので、実は一番実現可能な分野かと思います。

コールセンター業界、チャットを使った顧客サポートが急拡大 | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online
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さらに、ある程度機械的に(まあ人工知能だしね)対応してもらうことで、ほとんどの人の問題は解決されるばかりではなく、真に困っている人と単なるクレーマーを選り分けることも可能になるでしょう。真に困っている人にこそ、人によるきめ細やかなケアが必要になります。その時に初めて人が担当することで、簡単な質問や単なる悪質クレーマーに時間や精神的な体力を奪われることなく対応できると思われるのです。

最近のカスタマーサービスは、ほとんど録音しているので、機械学習にかけるためのデータは、かなりあると思われます。もしも、カスタマーサービスを専門とする企業が出てくれば、カスタマーサービスに関わるノウハウや苦情などが、業種などをこえてデータが蓄積されていきます。そうすると、ビッグデータ的に解析し、クレームや苦情に関わる共通の傾向なども割り出せるかもしれませんね。




checkmark.png 2.裁判官

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私は、裁判員裁判にはどちらかというと反対です。裁判は、人が人を裁くというシステム上どうしても避けられない様々なバグが出てきます。どんなに完璧な制度を目指したとしても、それには限界があるのは仕方が無いとは思っています。しかし、裁判員裁判の場合だとそこにさらに感情などが入り込む余地があり、量刑をゆがめてしまっている現状があります(裁判員裁判の方が、重く判断される傾向がある)。

視点・論点 「裁判員制度6年の歩みと課題」 | 視点・論点 | NHK 解説委員室 | 解説アーカイブス
視点・論点 「裁判員制度6年の歩みと課題」 | 視点・論点 | NHK 解説委員室 | 解説アーカイブス
視点・論点 「裁判員制度6年の歩みと課題」 | 視点・論点 | NHK 解説委員室 | 解説アーカイブス



自分の中では、最終的な判断は人間の裁判官が行うべきだと思いますが、その途中または量刑判断の最終局面の一歩手前まで、人工知能に任せてしまっても良いのでは無いかと思うのです。特に軽犯罪レベルや量刑の確定しやすい裁判などにおいては、ほぼ人工知能でまかなえてしまえるのではないかと考えています。それは、過去の膨大な判例の数々がデータとして使えるからです。そうすることで、裁判の迅速化と裁判制度のスリム化を図ることが可能になるでしょう。

イメージとしては、攻殻機動隊のこのイメージ?

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逆に家庭裁判所など、仲介や和解などがメインとなるような裁判には、全く向かないかもしれませんね。

アメリカでは、法律事務所でIBMのワトソンを雇ったというニュースも流れましたね。法律関係は、今後間違いなくこの流れに乗っていきそうです。

米大手法律事務所、破産法担当としてAI弁護士を世界で初めて導入 - BusinessNewsline
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checkmark.png 3.医者

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たぶん、これは賛否が分かれるであろうと思います。
私も全てを人工知能に置き換えることができるとは全く思っていません。むしろ、人間でなければならない部分もまた多い職種であると思っています。しかし、あえてここに載せたのは、そこに人工知能が入り込む余地があると考えたからです。

少し前のニュースで人工知能が、ある特殊な白血病患者の病名をかなりの速度で特定したというのをご存知でしょうか?

IBMのWatson、わずか10分で難症例患者の正しい病名を見抜く。医師に治療法を指南 - Engadget Japanese
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しかし、それだけではなく、人工知能の得意とするのは、画像の解析であったり、人間が見分けることができない大量のデータの中から意味のあるデータを見つけ出すといった部分です。

人工知能ワトソン、がん診断支援 8割で有用な情報提供:朝日新聞デジタル
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そこで、ふと考えてみると、医者の行なっている診断というのは、まさにこれではないかと思うのです。人の経験によるのではなく、様々な医療データと照らし合わせ病名を特定していくという作業は、まさに人工知能の分野ではないかと思うのです。その時に果たして人間の医者は、どの部分を担当していくことになるかというと、先ほどの裁判官と同じ「最終判断」の部分と、患者からしっかりと情報を引き出すことではないかといでしょうか?
少なくとも、しかめっ面で患者をチラリとしか見ず、診察もそこそこに薬だけは大量に出す医者は、もはや必要がなくなるのかもしれません。

患者さんの立場に立ち、コミュニケーション能力にすぐ入れる医者こそが、人工知能とともに仕事をする医者になっていくような気がします。インターフェイスとしての人間ということです。




checkmark.png 4.配送業者

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これは、そこかしこですでに言われていることで、わざわざ言及する必要もないかと思ったのですが、あえて書いておきます。現在、急ピッチで研究開発が進んでいる自動運転技術が、実用レベルで使い物になる状態になれば、間違いなくこの配送業務における運転手の役割は必要なくなる可能性が高いです。

Amazonの倉庫業務が、ほぼオートメーション化しているという事実から考えても、同様な事態が生じる可能性が高いと言えます。

Amazonのオートメーション化したピックアップ作業の様子。




自動運転によりほぼ完璧なまでに高効率化した配送順や道順など実現した時に、人が果たすべき役割は何か残っているでしょうか?実は逆説的ですが、人の果たすべき役割はある、と考えます。

確かにドライバーとしての役割は無くなっていくでしょう。しかし、ラストワンマイルという「道から家の中まで」は、さすがに色々難しいのではないか?と思うのです。大きさも重さも異なるモノを、丁寧に扱いつつ、呼び鈴を鳴らし、話しかけ、受け取りのサインをもらうという一連の流れは、案外人間の方がうまくいくと思っています。このような様々な複雑な要素が折り重ななる場面で、物理的に実現するというのは、人の得意とするところだからです。

そういう意味では、タクシーやバスなどの公共交通機関のドライバーに関しては、人の入り込む余地はかなり少なそうな気がします。




checkmark.png 5.政治家や官僚

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最後は、政治家や官僚です。
これも異論反論大いにありうるところだと思います。

もちろん、これも完全に人工知能に置き換えることはできないと思っています。少なくとも今のところは。
政治家の仕事は、非常に多岐にわたるので100%置き換えるのは不可能だとも思います。しかし、税を徴収し、それを最適な形で再配分するという本来の政治業務の一つを見た場合、そこには少なくとも人工知能が活躍する部分が見出せそうです。医療、福祉、公共事業に始まり、軍事、金融など多岐にわたる分野を貫くのは、「お金」です。現在は、各省庁や各地方から「予算要求」があり、それに対して適切だと思われる額が割り当てられます。しかし、それが本当に適切かは分かりません。そして、それが全体として最適化されたものであるかもわからないのです。さらには、あらゆるファクト(国際情勢やら気候など)が複雑に折り重なり、混沌としたように見えます。

しかし、まさにその混沌としたデータの集合体から意味を見抜くのが、人工知能の役割です。
政策立案に関わる分析官としての役割としてならば、大いにありではないでしょうか?それを表明し、議論の俎上にあげていくのは、人の役割になるのです。少なくとも勘や経験、感情などに振り回されることがなく、適切に分析してくれる人工知能をブレインとした政治家が出てきた時、私たちの目には「情けない」と映るでしょうか?それとも「頼もしい」と感じるでしょうか?

とはいえ、世界は全て理論尽くで動いているわけではなく、どちらかといえば非論理的&感情的な思惑で動いていることも非常に多いことを考えると、あえて不合理な判断や非論理的な判断が、必要とされる場面もあることに注意しなくてはいけません。そして、そういう局面こそが人の担うべきところなのかもしれません。





eyeglass2.png 情報管理LOGの眼
 インターフェイスとしての人間

この記事を書いていて、ふつふつと沸き起こってきたのは、人が担うべきことは何か?ということです。私は、人間というのはインターフェイスとして非常に優れていると感じています。人工知能を万能の存在とは思っていませんが、最終的にはシンギュラリティ以前であっても、相当な部分で人は負け続けると思っています。
けれども、車に走る速度が追いつかないからといって怒ったり、悲しんだりする人はいませんよね?コンピュータの方が計算速度が速いからといって、落ち込んだりする人もいないでしょう?
つまりは、担うべき役割が、シフトしていくというだけな気がします。あとは、社会がどれだけそれを受け入れるだけの土壌があるかという問題になっていくのではないでしょうか?

まあオリュンポスには、ほど遠いよね。







学力とコンピュータ開始年齢との考察ちょっと待った!

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情報管理LOGの@yoshinonです。
先日、私の愛読しているブログの一つである「データえっせい」さんで、「幼少期のコンピュータ利用と学力の関連」という記事が上がっていました。

これに関して、いくいつか違和感を感じたので、データ分析のずぶの素人ですが、その違和感の原因について探ってみました。
※注:別にケンカを売っているとか、そういうのじゃ全くありません。あしからず。


  
【 学力とコンピュータ開始年齢との考察ちょっと待った! 】  

 1.コンピュータ開始年齢が早ければ学力が高くなるは、本当か?

 2.考察1: コンピュータ所有率と学力との関係から

 3.考察2: コンピュータ開始年齢という項目を検討するのは時期尚早では?

 4.考察3: 本当にコンピュータ開始年齢との因果関係が成立するのか?






checkmark.png 1.コンピュータ開始年齢が早ければ学力が高くなるは、本当か?

上に書きました私の愛読ブログの一つである「データえっせい」さんが、先日アップした記事を読んで違和感を感じたので、その違和感を探るべく、ちょっと考察してみました。

データえっせい: 幼少期のコンピュータ利用と学力の関連
データえっせい: 幼少期のコンピュータ利用と学力の関連





まず、この記事の骨子ですが、

 ・コンピュータ開始年齢と学力は相関関係にある
 ・コンピュータ所持率は、経済的に見て比較的裕福な層において高く見られる
 ・その群の中でコンピュータ開始年齢を比較する
 ・すると、高い相関関係が見られた。
 ・コンピュータ開始年齢と学力の間には、因果関係があるのではないか?


という感じではないかと思います。
この段階では、それほど大きな齟齬はないのではないかと思います。

私が、奥歯にものが詰まったような、妙な違和感を自分なりに分析してみたら、以下の点が引っかかっていると思い至りました。

 1.コンピュータ所持率全体から見た場合、そのコンピュータ開始年齢というものに、どれほどのデータ的な価値があるのか?
 2.そもそもコンピュータ開始年齢というものを考察の遡上に挙げる段階にあるのか?
 3.果たしてコンピュータ開始年齢との因果関係が成立するのか?という根本的な疑問


別に難癖をつけたいわけではなく、自分の中の疑問の種が芽生えてしまったのです。すみません。
というわけで、自分なりにいくつか資料にあたりながら、考察してみました。
この考察に関して、絶対的に正しいとか言うつもりは、毛頭ありません。反論異論大いにあって良いかと思います。





checkmark.png 2.考察1:コンピュータ所有率と学力との関係から

まずは、コンピュータ所持率の件から切り込んでいきたいと思います。

日本国内のコンピュータ所持率と親の経済状態との関係性から見ていきます。
それが、このグラフになります。

2016091501.png


引用:年収でパソコンの保有率に違いは生じるのか(不破雷蔵) - 個人 - Yahoo!ニュース
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このグラフを見ると分かると思いますが、世帯収入が700万を越えるあたりからコンピュータ所持率は、ほぼ横ばいになることが分かります。つまり、年収700万円の家庭であっても、年収1500万円の家庭であっても、ほぼ95%以上の家庭にコンピュータがあることを意味します

その一方で、学力と親の経済状態は、因果関係にあるという、様々な調査結果があるので、見てみるとこのような関係があることが分かります。

2016091502.png


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引用:第1章 家計負担の現状と教育投資の水準:文部科学省


年収700万円以上の家庭から、さらにその上の年収に至るまで学力との因果関係が成立することが分かります(最大10%以上の差がある)。

データえっせいさんでは、割とざっくりと「両親のいずれかが大卒(ISCED 5A or 6)以上の生徒に限定」としていましたが、その中にあっても、一括りにできない年収の帯が存在するわけです。その中において、コンピュータ開始年齢の低い層に年収が低い層が多数存在する可能性もあり、その逆もあるわけです(開始年齢が、早い層に高収入な層が多数存在する可能性)。

もしも、比較するならば、親の年収が同じ層同士の中で、コンピュータ開始年齢を比較すべきだったかも知れません(残念ながら私が探した資料には、そのようなデータはなかったので反証はできませんが)。





checkmark.png 3.考察2:コンピュータ開始年齢という項目を検討するのは時期尚早では?

そもそも、このコンピュータ開始年齢という項目自体について、もう少し見ていかなくてはいけないと思っています。

まず、コンピュータ所持率の推移をご覧ください。

2016091503.png


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図録▽パソコンとインターネットの普及率の推移


1995年のWindows95の発売を契機にコンピュータの所持率劇的に上がり、ほぼ右肩上がりで上がり続けているのが分かります(単身者世帯では、2010年から減少に転じている)。1995年当時のPCは、値段も高く30万円以上しました(実際は、もう少し高かった印象)。この当時は、バブル期であったことを勘案しても、PC所持層というのは、一定の年収との相関関係があったのではないか?と考えられます。この段階での普及率は、たったの15%に過ぎません。普及率が、50%を上回ったのは、2000年に入ってからです。

ちなみに、以下はPCの値段の推移になっています。

2016091504.png


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データ元:パーソナルコンピュータ史 - Wikipedia

このデータと照らし合わせると、2000年代に入って、コンピュータの平均単価が20万円を切り始めてから劇的に普及率が上がってきているのが分かるはずです。

そこで、改めてデータえっせいさんのところで示されていたグラフを見てみたいと思います。

2016091505.png


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グラフ:データえっせい: 幼少期のコンピュータ利用と学力の関連より引用

こちらのグラフは、2012年のPISAの結果を基に作成されているようなのですが、コンピュータ開始年齢と学力との関係を表したものになります。
ここで、よく考えてもらいたいのですが、2012年段階で15歳の生徒のデータなのです。2012年で15歳ということは、生まれは1997年ということになります。このときのコンピュータ普及率は、たったの22%台でした。そこから、6年後の2003年でおよそ65%なのです(単身者だとダメでしょ?子どもがいる前提なので)。6歳~13歳以上にわたる期間の中でおよそ20%ほどの普及率の変化があったわけです。さらに、コンピュータの金額そのものも、2003年段階では、およそ15万円ぐらいでしたが、2010年ではおよそ8万円と1/2の価格になっているのです。

何が言いたいのかというと、

コンピュータを買っている層がこの期間で劇的に推移しているにもかかわらず、それを勘案しないで、単に「コンピュータ開始年齢と学力」という切り口のみで見ることは、危ういのではないか

というです。





checkmark.png 4.考察3:本当にPC開始年齢との因果関係が成立するのか?

さて、私が一番最初に「おや?」と引っかかりを感じたのは、データえっせいさんのこのグラフでした。

2016091506.png


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グラフ:データえっせい: 幼少期のコンピュータ利用と学力の関連より引用

日本のコンピュータ開始年齢が、明らかに低い結果になっています。それに対して、北欧の国々は高い数値を示しているのが分かります。

さて、では2012年のPISAの順位はどうだったかというと、こんな感じになっています。コンピュータ開始年齢が遅いはずの日本と韓国が、OECD加盟国の中で上位を占めているのです。もしも、因果関係が成立するならば、この順位はもう少し違った物になっていないとおかしいはずです。

2016091507.png


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引用:OECD生徒の学習到達度調査(PISA2012)のポイント|国立教育政策研究所 National Institute for Educational Policy Research

ここで、考えられるのは、親の経済状況と学力の因果関係についてです。すでに、様々な調査結果から、この2つに関しては、因果関係が成立するとされています。裕福な家の子どもは、学力が高い傾向にあるし、そうではない家庭の子どもは、総じて学力が低い傾向にあるということです。

つまり、コンピュータ開始年齢に関する考察でも書いたように、親の経済力が直接、コンピュータ開始年齢と結びついている可能性が非常に高く、コンピュータ開始年齢と学力の関係は、交絡の可能性が高いというということです。

交絡 - Wikipedia


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 だからといってコンピュータ教育が不要なわけじゃない

コンピュータ開始年齢と学力の関係について考察していきましたが、だからといって教育にコンピュータが不要だと言っているわけではありません。むしろ、コンピュータを教育に使うことは、積極的に推進すべきだと思っています。すでにプログラミング必修化という話も出てきているようですが、21世紀を生きるにあたり必要な知識であろうと思っています。

小学校でのプログラミング教育必修化を検討 文科省:朝日新聞デジタル
小学校でのプログラミング教育必修化を検討 文科省:朝日新聞デジタル




後日、話題にしたいと思っているのですが、実はコンピュータによる教育的アウトプットの有無こそが、学力と関係が深いのではないか?と思っています。




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