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アウトプットは、目的か?手段か? #アウトプット思考法

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情報管理LOGの@yoshinonです。
久々のアウトプット思考法シリーズです。
過去の記事は、こちらを参照してみてください。

アウトプット思考法 - 情報管理LOG

さて、タイトル自体が、若干意味不明に思われるかもしれませんが、皆さんは日頃から何らかの形でアウトプットしていますよね?
手帳やノートに書いたり、TwitterやインスタなどのSNSに投稿したり、アイデアを企画としてまとめたりなどなど。会話ですらアウトプットと言えるかもしれません。そう考えると、生活の多くの部分は、広義の意味のアウトプットと言えなくもないですね。

さて、

アウトプットは、目的でしょうか?手段でしょうか?

考えたこともないという人も多いかもしれませんね。
今回は、アウトプットを違った面で捉え直すことによって、日頃無意識で行っているアウトプットの意味合いが変わってくるかもしれないよ?ということについてです。




  
【 アウトプットは、目的か?手段か? 】  

 1.アウトプットは、目的か?手段か?

 2.アウトプットの手段的側面

 3.アウトプットを目的的に見直してみる







checkmark.png 1.アウトプットは、目的か?手段か?

上でも書きましたが、

アウトプットは、目的か?手段か?

なんて考えて過ごすことないですよね…?

私が、日頃の自分から出てくるアウトプットを挙げてみると

・仕事などの企画書
・プレゼン資料
・メールやLINEなどの連絡関係
・TwitterやFacebookなどのSNS
・イラストや写真など
・ノートや手帳に書いているアイデア
・会話などのコミュニケーション関係

などが出てきます(もっとありそうだけど)。
これらを見てみると、手段か?目的か?と考えるならば、目的になりそうですよね?




checkmark.png 2.アウトプットの手段的側面

先ほど挙げた自分のアウトプット例で考えてみると、仕事に関わることでもSNSを始めとするコミュニケーションにしても、アイデア出しなども全て仕事上の目的や他の人と関係を深めたいとかの目的が別にあり、それ自体が「目的」ではなく「手段」ですよね?

・仕事などの企画書 → 仕事を達成するための手段
・プレゼン資料 → 企画を通すための手段
・メールやLINEなどの連絡関係 → 仕事や仲間などのコミュニケーション手段
・TwitterやFacebookなどのSNS → ネット上でのコミュニケーション手段
・イラストや写真など → 自分を表現するための手段
・ノートや手帳に書いているアイデア → アイデアを出すための手段
・会話などのコミュニケーション関係 → 他者との関係を深めるための手段


要するにアウトプットというのは、なにがしらの「手段ありき」で行われるものが多くを占めるわけです。

通常私たちが生活する上でアウトプットをしていること自体が、何らかの手段を伴ったものであり、意識するにせよ、無意識であるにせよアウトプットと手段はセット化されていると言っても良いでしょう。

しかし、ここに新たな視点を加えてみたいと思います。




checkmark.png 3.アウトプットを目的的に見直してみる

ここであえてアウトプット自体を目的としてみたいと思います。一種の思考実験ですね。

つまり、今までは仕事のためだったり、仲間とのコミュニケーションや自分のためだったりした手段であったのを、アウトプットすること自体を目的として捉えてみるのです。

そうすると、個々の手段としてのアウトプットしての側面は消え去ることはありませんが、アウトプットを以下の3つの視点として捉えることができるようになります。

それは、

 と  と 時間

です。

えっ?そんな視点で考えてことないですか?
だとしたら、この機会に考えてみると面白いですよ。

あなたが、1日という枠で考えたときに

どれぐらいの総量をアウトプットしたか?
(あなたが考える)クオリティとしての高さはどれぐらいであったか?
それにかけた時間はどれぐらいであったか?


アウトプット自体を目的化する場合、この3つが指標になるのでは無いかと思われます。(他の指標があれば教えてください!考えてみます)
この3つを変数として考えると

アウトプットコスト=量×質/時間

という式で表せなくもないです。

そして、アウトプットを目的として考えた場合、これを最大化することが目的となります。だって、それが目的だから。

違和感を感じますか?
でも、私はそれほど違和感を感じません。

数年前に流行った本に「ゼロ秒思考」という本がありました。



情報管理LOGでもたびたび取り上げさせていただいていますし、アウトプット思考法のトレーニング本としても優れた本だと思っています。

ゼロ秒思考」の取り組みを要約すると、

 ・A4一枚に1分以内
 ・1枚につき4〜6項目
 ・なるべく文章で簡潔に書く
 ・1回に10枚ぐらい書く
 ・1行目は、タイトルで下に下線を引く
 ・各項目から派生することがあれば、別の紙に項目を起こして書く
 ・貯まってきたら、カテゴライズする


となります。

これと同じような手法としてあるのが、「ノンストップ・ライティング」というものです。これは、

1.書く準備をしてタイマーを15分間にセットする。
2.タイマーがなるまでなんでもいいからとにかく書き続ける。
3.怖い考えやヤバイ感情に突き当たったら(高い確率でそうなる)、「ようやくおいでなすった」と思って、すぐに飛びつく。
(読書猿著『アイデア大全――創造力とブレイクスルーを生み出す42のツール』P.43より)


というものです。



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この2つに共通するのは、単位時間あたりどれぐらいの量のアウトプットするか?という点です。

質は?質はどうなの??

と思われるかもしれませんが、量を吐き出すことによって、質も高まっていくだろうという手法なのです。これに関しては、異論のある方も大勢いるかもしれませんが、私は一つの正解だと思っています。
質にこだわりすぎるばかりにアウトプットできない人というのが、一定数います。

先ほどの式を見直してみてください。

アウトプットコスト=量×質/時間

質にこだわりすぎる人というのは、質が担保できない場合は、

質=0

だと思い込んでしまっているのです。
しかし、何らかのアウトプットをすると、どんなに質が低くてもそれは、全くのゼロではないのです。

だから、何が言いたいの?

って?

まずは、アウトプットしなよ!
ってことです。

コミュニケーションが、苦手な人はまず話しかけてみなよ!質なんか気にせずに。
文章が下手?ならまず書いてみなよ。誰に見せるとか考えずに。
アイデアが浮かばない?まず落書きでも何でも良いから書いてみなよ。
好きな人がいるなら、告白してみなよ。


それは、決してゼロではないから。
ましてやマイナスでもないから。





 eyeglass2.png 情報管理LOGの眼
 ゼロだなんてないよ?

アイデアが浮かばない人には、アイデアをひねり出そうなんてせずに、まずは身の回りの気になることでも、好きなことでも何でも、まずは書いてみるようアドバイスします。アイデアなんて直線的に生まれてくるわけではないのですよね。
その周辺にあるごちゃごちゃの中から初めて生まれてきたりすることが多いような気がします。それを人は、「アイデアが、空から降ってきた」とか「アイデアが、沸いてきた」とか表現しているに過ぎないのです。
だから、質を気にしている人は、安心して量を出せば良いのですよ。




アウトプットのためのインプットばかりしていると先細るよ?(その2)

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情報管理LOGの@yoshinonです。
前回は、インプットとアウトプットの関係について書いていきました。
今回は、さらに突っ込んでどんなインプットであれば、先細りを防げるのか?ということについて書いていきます。インプット・アウトプットの関係で行き詰まりを感じている人は、どうぞ。



  
【 アウトプットのためのインプットばかりしていると先細るよ?(その2) 】  

 1.前回の振り返り

 2.時間的距離が必要な理由

 3.アウトプットの先細りを防ぐにはどうすれば良いか?







checkmark.png 1.前回の振り返り

この記事を書くきっかけになった記事は、こちらになります。

デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note
デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note





気づいたらものすごくブクマついてますね。読んだ人多かったのでないでしょうか?
この記事の中で、(センスのかたまりと思っていた)先輩が次第にアウトプットが低下していき、最後にはモンブラン氏の言う、デザイナーにとっての

ゆるやかな死

が訪れたというのです。
先輩は、仕事を辞めてしまい、次に自分自身にも同じように

ゆるやかな死は僕の前にも現れた

というのです。

ある日、コーディングが終わって、久々に依頼されたロゴデザインを着手しようとした深夜、頭を抱えることになった。 「同じようなロゴ」しか作れないのだ。 シンボルなしのロゴタイプ出来た案はとにかく無難な割に仕立てが悪い服みたいに不格好だった。 「ゆるやかな死」が僕に手を振り始めていた。


デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note



これは、デザイナーさんの前だけに現れる症状ではありません。
世の中の「アウトプット」を必要とする全ての人に訪れるかもしれない、恐るべき死の病かもしれないのです。

そこで、情報管理LOGでは、どうしてそのようなことが起こるのか?
ということについて、「インプット・アウトプット」の関係を「私」をレンズに置き換えて説明してみました。




縦軸が、インプットやアウトプットの量(や質)、そして横軸が時間的距離として考えるのです。インプットを自分というレンズを通して、アウトプットされていくのです。

さらに、アウトプットそのものが、インプットにもなり、そこに新しい情報がつっけくわわることによって、まるで回転するエンジンのように循環していくのではないか?ということを書きました。




少なくとも、「アウトプットするために、インプットをしなきゃ」というのは、人間を単なる土管のようにしか考えていないのではないか?ということでした。

こういうのは、インプット・アウトプットに対する解釈としては、間違っていると思うのです。






checkmark.png 2.時間的距離が必要な理由

さて、情報管理LOGでは、「アウトプット思考法」という記事を不定期に書いています。
アウトプット思考法の基本の「キ」として、提唱しているのが

書き出す → 見直す

です。
まずは、アウトプットせよ、そして必ず見直そうということを説いています。

そして、見直すまでには、必ず一定の時間を空ける「熟成期間」というのを設けようと提唱しています。

アウトプット思考法の基本のフロー図は、こんな感じ。





大きく分けると「STEP1」「STEP2」に分けられます。
「STEP1」は、アウトプットしたものを適切なツールに投げ込む部分です。例えば、今回の例で言えば、デザインの作法のようなものです。頭から出てきた「素の状態のアイデア」を加工する過程ですね。

そして、「STEP2」においては、それをさらに追加・修正・削除(削除も重要な要素なのです)してブラッシュアップを図っていきます。

ここで、注目して欲しいのは、「STEP1」と「STEP2」の間に「熟成期間」というものがあることです。この熟成期間を経て「見直す(レビュー)」するという行程は、実はアウトプット思考法において、非常に重要な部分をなすのです。
このあたりについては、以下で説明していますので、興味のある方はどうぞ!

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ざっくりと要約すると、熟成期間を設けないと、脳内でエラーが起きやすい状態が続いてしまうと理解してもらって良いです。

そこで、前回の図に付け加えると、こんな感じになります。

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アウトプットからの「熟成期間」=「時間的距離」をとることによって、脳からアイデアの残像を消してしまい、「外からの情報(新しいインプット)」や「新しいアイデア」を入れる余地をつくるという意味合いにおいて必要な措置なのです。

ぶっちゃけ言うと、

「表現」は「効率化」とは相性が悪い

のです。




checkmark.png 3.アウトプットの先細りを防ぐにはどうすれば良いか?

元の記事にあるような「ゆるやかな死」=「アウトプットの先細り」を防ぐには、どうすれば良いのでしょうか?

上記の記事では、結果的にその先輩は辞めてしまい、モンブラン氏は

結果的にはその死から逃れることは出来たけど、その当時は会社を一旦休んで、+DESIGNINGを読み漁ってインプットを押し込んだ。

デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note


とやることで、乗り切りました。
でも、よく見ると「会社を一旦休んでいる」のですよね。インプットするための時間を確保したと見ることもできますが、アウトプットを消化し、新しいインプットを入れるための熟成期間(時間的距離)をとったとも言えます。

結局、時間的距離が縮まれば縮まるほどに、インプットもアウトプット結ぶ像は小さくか細くなっていくという宿命からは逃れられません。

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では、そういう時間的距離(熟成期間)を設けなければ、このジレンマから抜け出すことはできないか?というと、唯一といって良いと思うのですが、方法が1つだけあります。

それは、

インプットの多様性を増やすこと

です。

インプットの量を増やすという意味ではありません。あくまで「多様性」です。この多様性については、また他の記事で深く掘り下げたいと思いますが、例えるならば、テレビのチャンネルみたいなものだと思ってください。

NHKというチャンネルでは、様々な番組をやっていますよね?
でも、NHKというテイストという枠組みからは逃れられません。例え冒険的な番組がNHKで流れていたとしても「NHKとしては、冒険的な番組」であるに過ぎません。

でも、ここにフジやアサヒ、テレビ東京、さらにはBS、Netflix、YouTube、ニコ動なんて加えていくと、多様性が広がりますよね?

デザインのアウトプットを増やしたければ、デザインのインプット「だけ」をするのではなく、むしろデザインとは関係のないインプットを増やすべきなのです。だから、私はそうい行き詰まりを感じた時には、散歩をしたり、美術館に行ったり、コンサートに行ったり、(仕事は全く関係のない)本を読んだりするようにしています。

仕事とは全く関係のない音楽や美術、本や空白の時間をもつことは、単に仕事のみのアウトプットを回すインプット・アウトプットのサイクルを行うよりも、良い結果をもたらすことが多いのです。これを突き詰めていくと、哲学方面に向かいそうなので、少し躊躇しているのですが、思わぬところに作用することは間違いないのですよね。

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なんというか、多次元的に作用する感じ?
気持ちの悪い図になるけど、こんな感じ。

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eyeglass2.png 情報管理LOGの眼
 複数のチャンネルをもつことの優位性

インプットの多様性ということで、チャンネルを例えに出したのですが、アウトプットのため「だけ」にインプットしていると、チャンネル内に固定化され、個人におけるブレ幅がどんどん狭くなっていく感覚があります。
そういう意味でも、複数チャンネル(多様なインプット)をもつことは、結果的にはアウトプットの先細りを防ぐことになるのではないか?と考えています。逆に複数チャンネルを持っている人は、アウトプットの幅も広がる可能性が高まるので、多様なニーズにも応えられやすくなるのではないかと思うのです。



アウトプットのためのインプットばかりしていると先細るよ?

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情報管理LOGの@yoshinonです。
先日来より、注目している記事があります。
これですね。

デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note

この記事では、インプットせずにアウトプットを続けていると、アウトプットできなくなるよ!
というようなことが書かれています。したがって、

インプットをやめるな。死ぬぞ。

というような言葉を後半に書いています。
なるほど、そういう面もあるかもしれないですね。情報管理LOGでは、「アウトプット思考法」という記事を書いています。これは人ごとではないなということで、このことについて書いてみたいと思います。



  
【 アウトプットのためのインプットばかりしていると先細るよ? 】  

 1.ある記事の紹介

 2.インプットとアウトプットは、卵と鶏か?

 3.「インプット・アウトプット」と「私・レンズ」

 4.アウトプットのためのインプットは推奨しない理由









checkmark.png 1.ある記事の紹介

一番上でインプットとアウトプットについての記事を紹介しました。
しかし、これ1本ではなく、その後に書かれたものや、関連リンクなどもあるので、順番に紹介します。

デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note
デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note


アウトプット地獄の遺産 – footsteps – Medium
アウトプット地獄の遺産 – footsteps – Medium


インプットの枯渇 – footsteps – Medium
インプットの枯渇 – footsteps – Medium






この一連の記事に関しては、ぜひ読んでおいて損はないと思いますが、一応大まかな部分を抜粋すると、こんな感じ。

デザイナーとしての「ゆるやかな死」』から引用すると
※太字は、原文ママ

たしかにNさんはセンスの固まりのような人だった。
口数は少なく、打ち合わせも最低限だけど、アウトプットするものに抜本的な修正を入れられることはあまり見なかった。
今思うとこのアウトプットの低下は「センス残高」の低下なのかもしれない。

そして、ゆるやかな死

デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note



そして、そのNさんは、辞めてしまうのでした。そして、その代わりに作者の人がWebデザイナーとしてやるのでしたが


ある日、コーディングが終わって、久々に依頼されたロゴデザインを着手しようとした深夜、頭を抱えることになった。

「同じようなロゴ」しか作れないのだ。

シンボルなしのロゴタイプ出来た案はとにかく無難な割に仕立てが悪い服みたいに不格好だった。 「ゆるやかな死」が僕に手を振り始めていた。


デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note



ここに書かれている象徴的な言葉が、「ゆるやかな死」です。
突然死のような急に訪れるアウトプットできないという状況ではなく、その前に自分の中で何かが枯渇(この記事では「センスの枯渇」と表現)してしまうような状況がゆっくりと訪れるというものです。


さて、それを受けてfk@member氏が、Mediumで書いたのが、「アウトプット地獄の遺産 – footsteps – Medium」と「インプットの枯渇 – footsteps – Medium」という2つの記事です。


その中で悪い話の帰結として書いていたのが、こちら。

アウトプットをし続けてしまえばいずれセンスが枯渇してしまう。それは先に書いたデザイナーの記事で先輩の退職として実例が紹介されている。そしてセンスのため込みとは決して簡単にできることではない。疲労や病、あるいは時間が足りなくて、その他の精神的な負担が強くかかっているときには何もため込むことが出来なくなってしまう、そんな可能性もありえる。決してインプットは楽ではない。故にセンスの枯渇はどこかで訪れる可能性が常にあるのだということ。

僕たち、創造者(作り手)としての死はすぐ側に潜んでいることを忘れてはいけない。

アウトプット地獄の遺産 – footsteps – Medium


この記事では、救いのような内容を後半に書いているので、ぜひ参照して欲しいです。


さて、これに対する記事として、インプットの枯渇という記事もこの方は、書いています。なかなか面白いよね。

当時はアウトプットする先が見えていなかった。何のためにインプットする必要があるのか?どんな道具だって使ってこそ価値があるものだろう。それと同じようにインプット行為をするのは良くても、インプットしたあとにどうするのか?その理由が分からなくなっていたともいえる。

インプットの枯渇 – footsteps – Medium




checkmark.png 2.インプットとアウトプットは、卵と鶏か?

インプットとアウトプットというのは、卵と鶏の関係に似ているのではないか?
とつい、そう考えてしまいがちですが、そこまで単純ではありません。そもそも、私たちのアウトプットのこと始めに遡って考えてみましょう。

その前に、ここで書いていく「アウトプット」という言葉の定義ですが、

1+1=?と聞かれて

「2」

と答えるというような感じのアウトプットではありません。
どちらかというと、「表現」という言葉に置き換えることができるようなものとします。

幼少期の頃にみなさんは、お絵かきをしたのではないかと思いますが、最初期のお絵かきは、「スクリブル期(なぐりかき期)」と呼ばれる形にもならない点や線で構成されています。これの期間が、しばらく続いた後に、ある時にその偶然の線に意味が生まれてきます。単なる丸を「ママ」と言ったり、四角っぽい形を「ブーブー」となどと言うわけです。
これが、

2018021901.jpg



こんな感じにね。

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様々な形を五感を通じて吸収し、そして何かが生まれます。これらの過程は、たいてい似たような感じで発達段階として現れます。アウトプットされたものは、彼らにとってのインプットになりもするわけです。その中で意味が生成され、それがインプットとして機能し、そして次のアウトプットにつながっていくのです。卵が鶏であり、鶏が卵そのものになるという循環です。したがって、どちらが主(始まり)であるとか従(成果物)であるという考え方そのものが、ナンセンスなんですね。
そして、これは大人にも当てはまると考えられます。

整理すると、インプットとアウトプットの関係は、インプットをただ単にアウトプットするという図式ではなく

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インプットとアウトプットは、循環しているというイメージです。

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checkmark.png 3.「インプット・アウトプット」と「私・レンズ」

ここからは、前述の記事で書かれていたようなアウトプット(センス)の枯渇がなぜ起こるのか?について書いていきます。
よい例えはないものか?とこの数日頭を悩ませていましたが、自分という存在をレンズに置き換えると、とても上手く説明がつくと気づきました。
縦軸が、インプットやアウトプットの量(や質)、そして横軸が時間的距離とします。
図にするとこんな感じです。

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モンブラン氏の「デザイナーとしての「ゆるやかな死」」で書かれていた「ゆるやかな死」が、なぜ起こるのか?ということは、この図で考えると分かりやすです。
あの記事を読んでいるとインプットそのものが、ほとんどなくなっており、なおかつ短期間でアウトプットを要求されるような仕事であったことが理解できます。
それを、図に表すとこんな感じ。

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時間的な距離が短すぎるために、アウトプットそのものも小さくなってしまいます。もしかしたら、アウトプットまでの時間的な距離があれば、多少は改善されたのかもしれません。しかし、インプットからの時間的距離が短ければ、結局、ぼやけたアウトプットにしかなりえないのではないかと思います。

でも、世の中には、やたら短いスパンでとんでもない量のアウトプット出しているのいるよ?しかも、アウトプットの精度も高いヤツ。という人もいるかもしれません。
こんな感じの人。

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でも、それは世の中における特殊な人、いわゆる天才ってヤツです。天才には、天才の世界があるので、他で論じてもらうとして、もう少し普通よりで話を進めたいと思います。

インプットの量が十分にあっても、アウトプットまでの時間的距離が短いと、やはりこんな感じになります。これは、ある程度才能があったとしても、そうならざるを得ないのです。

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では、短期間で大量のインプットをしたら、短時間で大量のアウトプットが可能なのでは?と思うかもしれませんが、たぶんこうなります。

2018021909.png



もはや消化しきれずに、ピントを結ぶことも難しいのです。

そう考えると、適切な時間的距離が実は、けっこう大事だということが分かってくるかと思います。よく1万時間の法則などと言われる(眉唾)のは、この時間的距離を十分にとれよ!ということを示しているのではないか?と考えています。

茂木健一郎 公式ブログ - 一万時間の法則 - Powered by LINE
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checkmark.png 4.アウトプットのためのインプットは推奨しない理由

私は、アウトプットのためのインプットは、あまり推奨しません。
「アウトプットするために、インプットをしなきゃ」というのは、人間を単なる土管のようにしか考えていないように感じるのです。

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最初の方に書いたインプットとアウトプットの循環に戻ってみます。
その考えに従ってみると、先ほどのレンズの説明には、さらにこのように付け加わります。

2018021911.png



ちょっと分かりづらくなってしまいましたが、先ほどの考え方で行くと、アウトプットは一方通行ではなく、インプットそのものにもなると考えるのです。アウトプットでありながら、インプットそのものになり、インプットでありながら、アウトプットそのものであるという考え方です。そこに「外からの情報」が付け加わっていくというイメージです。

整理すると、インプットとアウトプットの関係は、一方通行の矢印のような関係ではなく、むしろ循環し回り続けるエンジンのようなものと考えると良いかもしれません。




eyeglass2.png 情報管理LOGの眼
 この話、もう少し続きます

もう少し書きたかったのですが、この記事を書ききるまでの時間的距離が足りませんでした(単に時間が無かった…)。というわけで、次回はこの続きです。


現在、山本直樹の「レッド 1969~1972」を読んでいます。
どうして、こういう異常な状況になっていったのか?ということが、コワイほど分かりますね。



私たちは、メメントの主人公を笑えない

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情報管理LOGの@yoshinonです。
先日は、「目に見えることの効用~なぜ脳の中身をアウトプットすべきなのか~」という記事を書きました。その中で思考というのは、フローで、まるで川の流れのようだという例えをしました。今回は、メメントという映画を通して、思考と記憶について考えてみます。

  
【 私たちは、メメントの主人公を笑えない 】  

 1.メメントってどんな映画?

 2.記憶が残らないというのは実は似てるのかも

 3.記録は残る









checkmark.png 1.メメントってどんな映画?

メメントという映画をご存知でしょうか?




この映画の主人公は、ある事件のせいで妻を殺され、さらに自身は記憶障害になっており、記憶を長く保つことができなくなっています。しかし、主人公は復讐のために自分の体に、刺青という形で記録を残していきます。間違いなく記憶を失ってしまう自分自身のために、刺青によって記憶を可視化しているのです。
とにかく数分間しか記憶を保てないので、自分の体に残っている刺青だけが唯一の情報なのです。そして、その刺青に描かれていることを頼りに、少しずつ事件の真相へとたどり着いていくという非常にスリリングな物語です。
この映画は、さらにその記録自体も仕掛けとして作用していくのですが(ネタバレになってしまうので観てください。とても面白いです)。




checkmark.png 2.記憶が残らないというのは実は似てるのかも

さて、私たちはメメントの主人公を見て、哀れみの目を向けてしまいがちになってしまいます。確かに数分間しか記憶が残らないとするならば、日常生活そのものも破綻しかねません。彼の症状は、「前向性健忘」というある時点以降の記憶を保持できなくなるというものでした。

しかし、私たちはあまり意識していませんが、これと似たようなことを日常的に経験しているのです。
先日の記事にこのような例えを書きました。

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 ①「そういえば、アレやってなかったなぁ」
 ②「あ、明日ってアレやる日だっよな」
 ③「あの準備って、どうなっているんだっけ?」
 ④「あ、○○に任せていたんだっけ。ホッ」
 ⑤「ん?でも、昨日までに連絡が来るはずじゃなかったっけ?」
 ⑥「電話しなくちゃな。」
  ※電話を取り出す
 ⑦「アレ、メール来てる」
 ⑧「子どもの○○の予約?忘れてた…。」



この間、わずか1分未満ぐらいでしょうか?
しかし、この間に私たちは、①のことさえ忘れてしまうことってありませんか?
⑧の段階では、もうすでに「子どもの○○の予約」を忘れてしまっていたことで頭がいっぱいなはずです。

前回は、こういう思考の状態を川の流れを例えとして表現しました。

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川の流れに浮かんでは消えていくモノをすくい上げているような状態です。もちろん、救っている間もどんどん様々なモノ(思考)は、流れて行ってしまいます。だから、⑧の段階で、「子どもの○○の予約」という記憶をすくい上げたときに、もうすでに①~⑦は流れて行ってしまっているのです。





checkmark.png 3.記録は残る

私たちの脳は、記憶を随時消してくれる機能がついています。全てを覚えていたり、全てを処理しようとすると、脳がオーバーヒートしてしまうからです。とはいえ、何でもかんでも忘れられるのも社会人として困ってしまいます。

メメントの主人公のように体に刺青を入れる必要は全くありませんが、それでも「記録」を残しておくことで、未来の自分に向けて記憶を呼び覚ますトリガーとして機能させることはできそうです。

そもそも、私たち自身は、何度も何度も同じように失われてしまった記憶(や思考)を嘆いているのに、それさえも忘れてしまうということも多々見られます。前日のメメントの主人公のことを笑うことは、全くできないのです。




 eyeglass2.png 情報管理LOGの眼
 クリストファー・ノーラン!

メメントを最初に観たときの衝撃は今でも忘れられません。非常に凝ったプロットにカットを多用した映像とか、観ているだけで興奮させられます。そして、ストリー全体の仕掛けなどなど魅力を語り出したら、やめられません。ちなみに、監督のクリストファー・ノーランは、「インセプション」や「インターステラー」などの監督さんでもあるのですね。どれも面白いです。ぜひ、まだ未視聴の方は、ご覧ください。





目に見えることの効用~なぜ脳の中身をアウトプットすべきなのか~ #アウトプット思考法

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情報管理LOGの@yoshinonです。
ここ最近、アウトプットすることの効用を説く本や技法が、注目を集めつつあります。情報管理LOGでも「アウトプット思考法」という考え方について、提唱しています。
特にゼロ秒思考やノンストップライティングのようなひたすらアウトプットすることによって、考えや悩みを整理されていくという手法があるのですが、これらはなぜ有効なのでしょうか?今回は、なぜ脳の中身をアウトプットすべきなのか?について考えていきます。


  
【 目に見えることの効用~なぜ脳の中身をアウトプットすべきなのか~ 】  

 1.ゼロ秒思考やノンストップライティングが目指すもの

 2.思考はフローなので、取り出してやる

 3.アウトプットされたものは、目に見える







checkmark.png 1.ゼロ秒思考やノンストップライティングが目指すもの

ここ最近、自分の脳内をどんどん書き出すというスタイルの技法が注目されてきています。私が、注目している方法は、「ゼロ秒思考」と「ノンストップライティング」なのですが、その亜流系なものも、どんどん紹介されてきていますね。

この2つについては、先日も記事にしたので参照して欲しいのですが、大まかに説明すると、以下のようになります。

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ゼロ秒思考



 ・A4一枚に1分以内
 ・1枚につき4〜6項目
 ・なるべく文章で簡潔に書く
 ・1回に10枚ぐらい書く
 ・1行目は、タイトルで下に下線を引く
 ・各項目から派生することがあれば、別の紙に項目を起こして書く
 ・貯まってきたら、カテゴライズする



そして、ノンストップライティングは、、「アイデア大全」という本で紹介されています。



1.書く準備をしてタイマーを15分間にセットする。
2.タイマーがなるまでなんでもいいからとにかく書き続ける。
3.怖い考えやヤバイ感情に突き当たったら(高い確率でそうなる)、「ようやくおいでなすった」と思って、すぐに飛びつく。

(読書猿著『アイデア大全』P.43より)

両者に共通しているのは、

 ・時間を区切ること
 ・どんな内容でも良いから書きまくること
 ・あとで分類整理すること


です。

それぞれの技法は、細かい手法的な部分に関しては相違点が見られるものの、その本質的な部分においては、かなり酷似しています。というか、ほとんど同じことを言っているようにしか見えません。

限られた時間の中で何でも良いから書きまくり、たまってきた時点で分類整理を試みる

ということです。

この2つとも、目指すところはほとんど同じで、考えが整理されないことや(不安感などもそれに含まれる)、思考が浅い部分を可視化することで、明らかにしつつ、自分の中の深い部分から、(割とムリヤリ)思考を引きずり出すことです。
そのことで、今までにないほど、脳の中がスッキリした感じを味わったり、整理されていなかったモヤモヤが、徐々に整理されていく感じを味わうことが出来るようになるのです。




checkmark.png 2.思考はフローなので、取り出してやる

皆さんは、こういう経験ってないでしょうか?
これは、一人の頭の中で起こっている出来事だと思ってください。

 ①「そういえば、アレやってなかったなぁ」
 ②「あ、明日ってアレやる日だっよな」
 ③「あの準備って、どうなっているんだっけ?」
 ④「あ、○○に任せていたんだっけ。ホッ」
 ⑤「ん?でも、昨日までに連絡が来るはずじゃなかったっけ?」
 ⑥「電話しなくちゃな。」
  ※電話を取り出す
 ⑦「アレ、メール来てる」
 ⑧「子どもの○○の予約?忘れてた…。」


まあ、よくありそうなといえば、ありそうな光景ですよね(極端だけど、ないわけじゃない)。
①~⑧までを見てみると、どんどん思考が流れて行っているのが分かりますよね?
で、大方の予想としては、⑧の段階で①~⑥までのことが失念してしまっているだろうなと予想できます。少なくとも①のことは、忘れてしまっていそうですよね。

でも、これが脳の仕組みなのです。
例えるならば、川の流れのようなものです。次々に川面には、様々なモノが流れてきますが、留まることはありません。それらは、どんどん下流(過去)に流れて行ってしまいます。

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それらの中から、一部をすくい取っているのが、日常の我々の様子(上の①~⑧)です。

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それに対して、ゼロ秒思考やノンストップライティングは、まさに川の流れそのものをアウトプットしてしまおうという試みなのです。

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もちろん、最初はうまくはいきません。だから、最初のうちは手が動かなかったり、流れを受け止めることが難しかったりします。イメージとしては、脳の中を流れる川の細い支流をとらえるだけでも手一杯といった状況でしょうか?

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しかし、慣れてくると、大きな流れをとらえることが可能になってきます。

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もしも、前述の①〜⑧までを、何らかの形でアウトプットできていたとしたら、⑧に意識がいったとしても、適切に①に戻ることも可能になるのです。GTDなどは、まさにこの考え方ですよね。まずは、全てをinboxにというのは、このためです。
あと、ゼロ秒思考もノンストップライティングも、限られた時間の中でやることを旨としていますが、それはこれをやると、意志の力を必要とするからです。だから、あまり長時間はできないのですよね。




checkmark.png 3.アウトプットされたものは、目に見える

さて、ここからは当たり前の話なのですが、アウトプットされたものは、目に見えるようになります。それは、私の頭の中から出たものであったとしても、他の人にも見えることができるという意味です。可視化っていいますよね。
この可視化される状態が、なぜ重要なのかというと、

一瞬前の自分は、果たして自分か?

という問題に突き当たります。
1日前の自分も、1日後の自分も、たぶん揺るぎなく「自分」であることは間違いありません。
しかし、本当に完全に同一なものかというと、そうではないのです。感情も刻々と移り変わるだろうし、考え方だって
刻一刻と変遷しています。ましてや、様々なことを思いつくこの脳みそなどは、一瞬たりともその前の状態と同一とは言えません。先ほど示したように、頭の中は川の流れのように、流れ続けていると考えて良いです。

行く河の流れは絶えずして、元の河にあらず

なのです。
「自分」という容れ物は同じでも、元の自分ではありません。
だからこそ、誰の目にも見えるよう可視化するために、アウトプットしなくてはいけないのです。アウトプットしたものは、誰の目にも見えるからこそ、未来の自分にも見えるのです。



 eyeglass2.png 情報管理LOGの眼
 「自分」は、常に可変的だという認識をもつ大切さ

上でも書きましたが、過去も未来もずっと変わらない「自分」だという認識は、すぐに捨てたほうがよです。むしろ、一瞬たりとも同じでいられないという認識をもつことが、実は大事なのではないか?と思っています。
そのことで、説明できることが、とても多いです。例えば、「絶対にやろう!」と思っていたことが、ズルズルとしないままになっていたりすることとかありませんか?もしも、それを思いついた過去と同じ自分だったら、きっとやったはずです。しかし、それをやらないのは、過去とは違う自分だからです。だからといって、そういう調子で全部をやっていたら、社会生活は営めません。一種の生活破綻者になってしまいます。しかし、そうはならないのは、過去の自分から変化しても、何とか持続できる仕組みをもっているからに他なりません。それは、ある時は「タスク」と呼ばれたり、「約束」と呼ばれたり、「意志」と呼ばれているかもしれません。
可変的な自分という存在を認め、未来の自分のために可視化しておくことが、アウトプット思考法なのです。


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