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アウトプットのためのインプットばかりしていると先細るよ?(その2)

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情報管理LOGの@yoshinonです。
前回は、インプットとアウトプットの関係について書いていきました。
今回は、さらに突っ込んでどんなインプットであれば、先細りを防げるのか?ということについて書いていきます。インプット・アウトプットの関係で行き詰まりを感じている人は、どうぞ。



  
【 アウトプットのためのインプットばかりしていると先細るよ?(その2) 】  

 1.前回の振り返り

 2.時間的距離が必要な理由

 3.アウトプットの先細りを防ぐにはどうすれば良いか?







checkmark.png 1.前回の振り返り

この記事を書くきっかけになった記事は、こちらになります。

デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note
デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note





気づいたらものすごくブクマついてますね。読んだ人多かったのでないでしょうか?
この記事の中で、(センスのかたまりと思っていた)先輩が次第にアウトプットが低下していき、最後にはモンブラン氏の言う、デザイナーにとっての

ゆるやかな死

が訪れたというのです。
先輩は、仕事を辞めてしまい、次に自分自身にも同じように

ゆるやかな死は僕の前にも現れた

というのです。

ある日、コーディングが終わって、久々に依頼されたロゴデザインを着手しようとした深夜、頭を抱えることになった。 「同じようなロゴ」しか作れないのだ。 シンボルなしのロゴタイプ出来た案はとにかく無難な割に仕立てが悪い服みたいに不格好だった。 「ゆるやかな死」が僕に手を振り始めていた。


デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note



これは、デザイナーさんの前だけに現れる症状ではありません。
世の中の「アウトプット」を必要とする全ての人に訪れるかもしれない、恐るべき死の病かもしれないのです。

そこで、情報管理LOGでは、どうしてそのようなことが起こるのか?
ということについて、「インプット・アウトプット」の関係を「私」をレンズに置き換えて説明してみました。




縦軸が、インプットやアウトプットの量(や質)、そして横軸が時間的距離として考えるのです。インプットを自分というレンズを通して、アウトプットされていくのです。

さらに、アウトプットそのものが、インプットにもなり、そこに新しい情報がつっけくわわることによって、まるで回転するエンジンのように循環していくのではないか?ということを書きました。




少なくとも、「アウトプットするために、インプットをしなきゃ」というのは、人間を単なる土管のようにしか考えていないのではないか?ということでした。

こういうのは、インプット・アウトプットに対する解釈としては、間違っていると思うのです。






checkmark.png 2.時間的距離が必要な理由

さて、情報管理LOGでは、「アウトプット思考法」という記事を不定期に書いています。
アウトプット思考法の基本の「キ」として、提唱しているのが

書き出す → 見直す

です。
まずは、アウトプットせよ、そして必ず見直そうということを説いています。

そして、見直すまでには、必ず一定の時間を空ける「熟成期間」というのを設けようと提唱しています。

アウトプット思考法の基本のフロー図は、こんな感じ。





大きく分けると「STEP1」「STEP2」に分けられます。
「STEP1」は、アウトプットしたものを適切なツールに投げ込む部分です。例えば、今回の例で言えば、デザインの作法のようなものです。頭から出てきた「素の状態のアイデア」を加工する過程ですね。

そして、「STEP2」においては、それをさらに追加・修正・削除(削除も重要な要素なのです)してブラッシュアップを図っていきます。

ここで、注目して欲しいのは、「STEP1」と「STEP2」の間に「熟成期間」というものがあることです。この熟成期間を経て「見直す(レビュー)」するという行程は、実はアウトプット思考法において、非常に重要な部分をなすのです。
このあたりについては、以下で説明していますので、興味のある方はどうぞ!

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ざっくりと要約すると、熟成期間を設けないと、脳内でエラーが起きやすい状態が続いてしまうと理解してもらって良いです。

そこで、前回の図に付け加えると、こんな感じになります。

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アウトプットからの「熟成期間」=「時間的距離」をとることによって、脳からアイデアの残像を消してしまい、「外からの情報(新しいインプット)」や「新しいアイデア」を入れる余地をつくるという意味合いにおいて必要な措置なのです。

ぶっちゃけ言うと、

「表現」は「効率化」とは相性が悪い

のです。




checkmark.png 3.アウトプットの先細りを防ぐにはどうすれば良いか?

元の記事にあるような「ゆるやかな死」=「アウトプットの先細り」を防ぐには、どうすれば良いのでしょうか?

上記の記事では、結果的にその先輩は辞めてしまい、モンブラン氏は

結果的にはその死から逃れることは出来たけど、その当時は会社を一旦休んで、+DESIGNINGを読み漁ってインプットを押し込んだ。

デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note


とやることで、乗り切りました。
でも、よく見ると「会社を一旦休んでいる」のですよね。インプットするための時間を確保したと見ることもできますが、アウトプットを消化し、新しいインプットを入れるための熟成期間(時間的距離)をとったとも言えます。

結局、時間的距離が縮まれば縮まるほどに、インプットもアウトプット結ぶ像は小さくか細くなっていくという宿命からは逃れられません。

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では、そういう時間的距離(熟成期間)を設けなければ、このジレンマから抜け出すことはできないか?というと、唯一といって良いと思うのですが、方法が1つだけあります。

それは、

インプットの多様性を増やすこと

です。

インプットの量を増やすという意味ではありません。あくまで「多様性」です。この多様性については、また他の記事で深く掘り下げたいと思いますが、例えるならば、テレビのチャンネルみたいなものだと思ってください。

NHKというチャンネルでは、様々な番組をやっていますよね?
でも、NHKというテイストという枠組みからは逃れられません。例え冒険的な番組がNHKで流れていたとしても「NHKとしては、冒険的な番組」であるに過ぎません。

でも、ここにフジやアサヒ、テレビ東京、さらにはBS、Netflix、YouTube、ニコ動なんて加えていくと、多様性が広がりますよね?

デザインのアウトプットを増やしたければ、デザインのインプット「だけ」をするのではなく、むしろデザインとは関係のないインプットを増やすべきなのです。だから、私はそうい行き詰まりを感じた時には、散歩をしたり、美術館に行ったり、コンサートに行ったり、(仕事は全く関係のない)本を読んだりするようにしています。

仕事とは全く関係のない音楽や美術、本や空白の時間をもつことは、単に仕事のみのアウトプットを回すインプット・アウトプットのサイクルを行うよりも、良い結果をもたらすことが多いのです。これを突き詰めていくと、哲学方面に向かいそうなので、少し躊躇しているのですが、思わぬところに作用することは間違いないのですよね。

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なんというか、多次元的に作用する感じ?
気持ちの悪い図になるけど、こんな感じ。

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eyeglass2.png 情報管理LOGの眼
 複数のチャンネルをもつことの優位性

インプットの多様性ということで、チャンネルを例えに出したのですが、アウトプットのため「だけ」にインプットしていると、チャンネル内に固定化され、個人におけるブレ幅がどんどん狭くなっていく感覚があります。
そういう意味でも、複数チャンネル(多様なインプット)をもつことは、結果的にはアウトプットの先細りを防ぐことになるのではないか?と考えています。逆に複数チャンネルを持っている人は、アウトプットの幅も広がる可能性が高まるので、多様なニーズにも応えられやすくなるのではないかと思うのです。



アウトプットのためのインプットばかりしていると先細るよ?

2018021900.png


情報管理LOGの@yoshinonです。
先日来より、注目している記事があります。
これですね。

デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note

この記事では、インプットせずにアウトプットを続けていると、アウトプットできなくなるよ!
というようなことが書かれています。したがって、

インプットをやめるな。死ぬぞ。

というような言葉を後半に書いています。
なるほど、そういう面もあるかもしれないですね。情報管理LOGでは、「アウトプット思考法」という記事を書いています。これは人ごとではないなということで、このことについて書いてみたいと思います。



  
【 アウトプットのためのインプットばかりしていると先細るよ? 】  

 1.ある記事の紹介

 2.インプットとアウトプットは、卵と鶏か?

 3.「インプット・アウトプット」と「私・レンズ」

 4.アウトプットのためのインプットは推奨しない理由









checkmark.png 1.ある記事の紹介

一番上でインプットとアウトプットについての記事を紹介しました。
しかし、これ1本ではなく、その後に書かれたものや、関連リンクなどもあるので、順番に紹介します。

デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note
デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note


アウトプット地獄の遺産 – footsteps – Medium
アウトプット地獄の遺産 – footsteps – Medium


インプットの枯渇 – footsteps – Medium
インプットの枯渇 – footsteps – Medium






この一連の記事に関しては、ぜひ読んでおいて損はないと思いますが、一応大まかな部分を抜粋すると、こんな感じ。

デザイナーとしての「ゆるやかな死」』から引用すると
※太字は、原文ママ

たしかにNさんはセンスの固まりのような人だった。
口数は少なく、打ち合わせも最低限だけど、アウトプットするものに抜本的な修正を入れられることはあまり見なかった。
今思うとこのアウトプットの低下は「センス残高」の低下なのかもしれない。

そして、ゆるやかな死

デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note



そして、そのNさんは、辞めてしまうのでした。そして、その代わりに作者の人がWebデザイナーとしてやるのでしたが


ある日、コーディングが終わって、久々に依頼されたロゴデザインを着手しようとした深夜、頭を抱えることになった。

「同じようなロゴ」しか作れないのだ。

シンボルなしのロゴタイプ出来た案はとにかく無難な割に仕立てが悪い服みたいに不格好だった。 「ゆるやかな死」が僕に手を振り始めていた。


デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note



ここに書かれている象徴的な言葉が、「ゆるやかな死」です。
突然死のような急に訪れるアウトプットできないという状況ではなく、その前に自分の中で何かが枯渇(この記事では「センスの枯渇」と表現)してしまうような状況がゆっくりと訪れるというものです。


さて、それを受けてfk@member氏が、Mediumで書いたのが、「アウトプット地獄の遺産 – footsteps – Medium」と「インプットの枯渇 – footsteps – Medium」という2つの記事です。


その中で悪い話の帰結として書いていたのが、こちら。

アウトプットをし続けてしまえばいずれセンスが枯渇してしまう。それは先に書いたデザイナーの記事で先輩の退職として実例が紹介されている。そしてセンスのため込みとは決して簡単にできることではない。疲労や病、あるいは時間が足りなくて、その他の精神的な負担が強くかかっているときには何もため込むことが出来なくなってしまう、そんな可能性もありえる。決してインプットは楽ではない。故にセンスの枯渇はどこかで訪れる可能性が常にあるのだということ。

僕たち、創造者(作り手)としての死はすぐ側に潜んでいることを忘れてはいけない。

アウトプット地獄の遺産 – footsteps – Medium


この記事では、救いのような内容を後半に書いているので、ぜひ参照して欲しいです。


さて、これに対する記事として、インプットの枯渇という記事もこの方は、書いています。なかなか面白いよね。

当時はアウトプットする先が見えていなかった。何のためにインプットする必要があるのか?どんな道具だって使ってこそ価値があるものだろう。それと同じようにインプット行為をするのは良くても、インプットしたあとにどうするのか?その理由が分からなくなっていたともいえる。

インプットの枯渇 – footsteps – Medium




checkmark.png 2.インプットとアウトプットは、卵と鶏か?

インプットとアウトプットというのは、卵と鶏の関係に似ているのではないか?
とつい、そう考えてしまいがちですが、そこまで単純ではありません。そもそも、私たちのアウトプットのこと始めに遡って考えてみましょう。

その前に、ここで書いていく「アウトプット」という言葉の定義ですが、

1+1=?と聞かれて

「2」

と答えるというような感じのアウトプットではありません。
どちらかというと、「表現」という言葉に置き換えることができるようなものとします。

幼少期の頃にみなさんは、お絵かきをしたのではないかと思いますが、最初期のお絵かきは、「スクリブル期(なぐりかき期)」と呼ばれる形にもならない点や線で構成されています。これの期間が、しばらく続いた後に、ある時にその偶然の線に意味が生まれてきます。単なる丸を「ママ」と言ったり、四角っぽい形を「ブーブー」となどと言うわけです。
これが、

2018021901.jpg



こんな感じにね。

2018021902.jpg



様々な形を五感を通じて吸収し、そして何かが生まれます。これらの過程は、たいてい似たような感じで発達段階として現れます。アウトプットされたものは、彼らにとってのインプットになりもするわけです。その中で意味が生成され、それがインプットとして機能し、そして次のアウトプットにつながっていくのです。卵が鶏であり、鶏が卵そのものになるという循環です。したがって、どちらが主(始まり)であるとか従(成果物)であるという考え方そのものが、ナンセンスなんですね。
そして、これは大人にも当てはまると考えられます。

整理すると、インプットとアウトプットの関係は、インプットをただ単にアウトプットするという図式ではなく

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インプットとアウトプットは、循環しているというイメージです。

2018021904.png




checkmark.png 3.「インプット・アウトプット」と「私・レンズ」

ここからは、前述の記事で書かれていたようなアウトプット(センス)の枯渇がなぜ起こるのか?について書いていきます。
よい例えはないものか?とこの数日頭を悩ませていましたが、自分という存在をレンズに置き換えると、とても上手く説明がつくと気づきました。
縦軸が、インプットやアウトプットの量(や質)、そして横軸が時間的距離とします。
図にするとこんな感じです。

2018021905.png



モンブラン氏の「デザイナーとしての「ゆるやかな死」」で書かれていた「ゆるやかな死」が、なぜ起こるのか?ということは、この図で考えると分かりやすです。
あの記事を読んでいるとインプットそのものが、ほとんどなくなっており、なおかつ短期間でアウトプットを要求されるような仕事であったことが理解できます。
それを、図に表すとこんな感じ。

2018021906.png



時間的な距離が短すぎるために、アウトプットそのものも小さくなってしまいます。もしかしたら、アウトプットまでの時間的な距離があれば、多少は改善されたのかもしれません。しかし、インプットからの時間的距離が短ければ、結局、ぼやけたアウトプットにしかなりえないのではないかと思います。

でも、世の中には、やたら短いスパンでとんでもない量のアウトプット出しているのいるよ?しかも、アウトプットの精度も高いヤツ。という人もいるかもしれません。
こんな感じの人。

2018021907.png



でも、それは世の中における特殊な人、いわゆる天才ってヤツです。天才には、天才の世界があるので、他で論じてもらうとして、もう少し普通よりで話を進めたいと思います。

インプットの量が十分にあっても、アウトプットまでの時間的距離が短いと、やはりこんな感じになります。これは、ある程度才能があったとしても、そうならざるを得ないのです。

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では、短期間で大量のインプットをしたら、短時間で大量のアウトプットが可能なのでは?と思うかもしれませんが、たぶんこうなります。

2018021909.png



もはや消化しきれずに、ピントを結ぶことも難しいのです。

そう考えると、適切な時間的距離が実は、けっこう大事だということが分かってくるかと思います。よく1万時間の法則などと言われる(眉唾)のは、この時間的距離を十分にとれよ!ということを示しているのではないか?と考えています。

茂木健一郎 公式ブログ - 一万時間の法則 - Powered by LINE
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checkmark.png 4.アウトプットのためのインプットは推奨しない理由

私は、アウトプットのためのインプットは、あまり推奨しません。
「アウトプットするために、インプットをしなきゃ」というのは、人間を単なる土管のようにしか考えていないように感じるのです。

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最初の方に書いたインプットとアウトプットの循環に戻ってみます。
その考えに従ってみると、先ほどのレンズの説明には、さらにこのように付け加わります。

2018021911.png



ちょっと分かりづらくなってしまいましたが、先ほどの考え方で行くと、アウトプットは一方通行ではなく、インプットそのものにもなると考えるのです。アウトプットでありながら、インプットそのものになり、インプットでありながら、アウトプットそのものであるという考え方です。そこに「外からの情報」が付け加わっていくというイメージです。

整理すると、インプットとアウトプットの関係は、一方通行の矢印のような関係ではなく、むしろ循環し回り続けるエンジンのようなものと考えると良いかもしれません。




eyeglass2.png 情報管理LOGの眼
 この話、もう少し続きます

もう少し書きたかったのですが、この記事を書ききるまでの時間的距離が足りませんでした(単に時間が無かった…)。というわけで、次回はこの続きです。


現在、山本直樹の「レッド 1969~1972」を読んでいます。
どうして、こういう異常な状況になっていったのか?ということが、コワイほど分かりますね。



私たちは、メメントの主人公を笑えない

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情報管理LOGの@yoshinonです。
先日は、「目に見えることの効用~なぜ脳の中身をアウトプットすべきなのか~」という記事を書きました。その中で思考というのは、フローで、まるで川の流れのようだという例えをしました。今回は、メメントという映画を通して、思考と記憶について考えてみます。

  
【 私たちは、メメントの主人公を笑えない 】  

 1.メメントってどんな映画?

 2.記憶が残らないというのは実は似てるのかも

 3.記録は残る









checkmark.png 1.メメントってどんな映画?

メメントという映画をご存知でしょうか?




この映画の主人公は、ある事件のせいで妻を殺され、さらに自身は記憶障害になっており、記憶を長く保つことができなくなっています。しかし、主人公は復讐のために自分の体に、刺青という形で記録を残していきます。間違いなく記憶を失ってしまう自分自身のために、刺青によって記憶を可視化しているのです。
とにかく数分間しか記憶を保てないので、自分の体に残っている刺青だけが唯一の情報なのです。そして、その刺青に描かれていることを頼りに、少しずつ事件の真相へとたどり着いていくという非常にスリリングな物語です。
この映画は、さらにその記録自体も仕掛けとして作用していくのですが(ネタバレになってしまうので観てください。とても面白いです)。




checkmark.png 2.記憶が残らないというのは実は似てるのかも

さて、私たちはメメントの主人公を見て、哀れみの目を向けてしまいがちになってしまいます。確かに数分間しか記憶が残らないとするならば、日常生活そのものも破綻しかねません。彼の症状は、「前向性健忘」というある時点以降の記憶を保持できなくなるというものでした。

しかし、私たちはあまり意識していませんが、これと似たようなことを日常的に経験しているのです。
先日の記事にこのような例えを書きました。

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 ①「そういえば、アレやってなかったなぁ」
 ②「あ、明日ってアレやる日だっよな」
 ③「あの準備って、どうなっているんだっけ?」
 ④「あ、○○に任せていたんだっけ。ホッ」
 ⑤「ん?でも、昨日までに連絡が来るはずじゃなかったっけ?」
 ⑥「電話しなくちゃな。」
  ※電話を取り出す
 ⑦「アレ、メール来てる」
 ⑧「子どもの○○の予約?忘れてた…。」



この間、わずか1分未満ぐらいでしょうか?
しかし、この間に私たちは、①のことさえ忘れてしまうことってありませんか?
⑧の段階では、もうすでに「子どもの○○の予約」を忘れてしまっていたことで頭がいっぱいなはずです。

前回は、こういう思考の状態を川の流れを例えとして表現しました。

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川の流れに浮かんでは消えていくモノをすくい上げているような状態です。もちろん、救っている間もどんどん様々なモノ(思考)は、流れて行ってしまいます。だから、⑧の段階で、「子どもの○○の予約」という記憶をすくい上げたときに、もうすでに①~⑦は流れて行ってしまっているのです。





checkmark.png 3.記録は残る

私たちの脳は、記憶を随時消してくれる機能がついています。全てを覚えていたり、全てを処理しようとすると、脳がオーバーヒートしてしまうからです。とはいえ、何でもかんでも忘れられるのも社会人として困ってしまいます。

メメントの主人公のように体に刺青を入れる必要は全くありませんが、それでも「記録」を残しておくことで、未来の自分に向けて記憶を呼び覚ますトリガーとして機能させることはできそうです。

そもそも、私たち自身は、何度も何度も同じように失われてしまった記憶(や思考)を嘆いているのに、それさえも忘れてしまうということも多々見られます。前日のメメントの主人公のことを笑うことは、全くできないのです。




 eyeglass2.png 情報管理LOGの眼
 クリストファー・ノーラン!

メメントを最初に観たときの衝撃は今でも忘れられません。非常に凝ったプロットにカットを多用した映像とか、観ているだけで興奮させられます。そして、ストリー全体の仕掛けなどなど魅力を語り出したら、やめられません。ちなみに、監督のクリストファー・ノーランは、「インセプション」や「インターステラー」などの監督さんでもあるのですね。どれも面白いです。ぜひ、まだ未視聴の方は、ご覧ください。





目に見えることの効用~なぜ脳の中身をアウトプットすべきなのか~ #アウトプット思考法

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情報管理LOGの@yoshinonです。
ここ最近、アウトプットすることの効用を説く本や技法が、注目を集めつつあります。情報管理LOGでも「アウトプット思考法」という考え方について、提唱しています。
特にゼロ秒思考やノンストップライティングのようなひたすらアウトプットすることによって、考えや悩みを整理されていくという手法があるのですが、これらはなぜ有効なのでしょうか?今回は、なぜ脳の中身をアウトプットすべきなのか?について考えていきます。


  
【 目に見えることの効用~なぜ脳の中身をアウトプットすべきなのか~ 】  

 1.ゼロ秒思考やノンストップライティングが目指すもの

 2.思考はフローなので、取り出してやる

 3.アウトプットされたものは、目に見える







checkmark.png 1.ゼロ秒思考やノンストップライティングが目指すもの

ここ最近、自分の脳内をどんどん書き出すというスタイルの技法が注目されてきています。私が、注目している方法は、「ゼロ秒思考」と「ノンストップライティング」なのですが、その亜流系なものも、どんどん紹介されてきていますね。

この2つについては、先日も記事にしたので参照して欲しいのですが、大まかに説明すると、以下のようになります。

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ゼロ秒思考



 ・A4一枚に1分以内
 ・1枚につき4〜6項目
 ・なるべく文章で簡潔に書く
 ・1回に10枚ぐらい書く
 ・1行目は、タイトルで下に下線を引く
 ・各項目から派生することがあれば、別の紙に項目を起こして書く
 ・貯まってきたら、カテゴライズする



そして、ノンストップライティングは、、「アイデア大全」という本で紹介されています。



1.書く準備をしてタイマーを15分間にセットする。
2.タイマーがなるまでなんでもいいからとにかく書き続ける。
3.怖い考えやヤバイ感情に突き当たったら(高い確率でそうなる)、「ようやくおいでなすった」と思って、すぐに飛びつく。

(読書猿著『アイデア大全』P.43より)

両者に共通しているのは、

 ・時間を区切ること
 ・どんな内容でも良いから書きまくること
 ・あとで分類整理すること


です。

それぞれの技法は、細かい手法的な部分に関しては相違点が見られるものの、その本質的な部分においては、かなり酷似しています。というか、ほとんど同じことを言っているようにしか見えません。

限られた時間の中で何でも良いから書きまくり、たまってきた時点で分類整理を試みる

ということです。

この2つとも、目指すところはほとんど同じで、考えが整理されないことや(不安感などもそれに含まれる)、思考が浅い部分を可視化することで、明らかにしつつ、自分の中の深い部分から、(割とムリヤリ)思考を引きずり出すことです。
そのことで、今までにないほど、脳の中がスッキリした感じを味わったり、整理されていなかったモヤモヤが、徐々に整理されていく感じを味わうことが出来るようになるのです。




checkmark.png 2.思考はフローなので、取り出してやる

皆さんは、こういう経験ってないでしょうか?
これは、一人の頭の中で起こっている出来事だと思ってください。

 ①「そういえば、アレやってなかったなぁ」
 ②「あ、明日ってアレやる日だっよな」
 ③「あの準備って、どうなっているんだっけ?」
 ④「あ、○○に任せていたんだっけ。ホッ」
 ⑤「ん?でも、昨日までに連絡が来るはずじゃなかったっけ?」
 ⑥「電話しなくちゃな。」
  ※電話を取り出す
 ⑦「アレ、メール来てる」
 ⑧「子どもの○○の予約?忘れてた…。」


まあ、よくありそうなといえば、ありそうな光景ですよね(極端だけど、ないわけじゃない)。
①~⑧までを見てみると、どんどん思考が流れて行っているのが分かりますよね?
で、大方の予想としては、⑧の段階で①~⑥までのことが失念してしまっているだろうなと予想できます。少なくとも①のことは、忘れてしまっていそうですよね。

でも、これが脳の仕組みなのです。
例えるならば、川の流れのようなものです。次々に川面には、様々なモノが流れてきますが、留まることはありません。それらは、どんどん下流(過去)に流れて行ってしまいます。

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それらの中から、一部をすくい取っているのが、日常の我々の様子(上の①~⑧)です。

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それに対して、ゼロ秒思考やノンストップライティングは、まさに川の流れそのものをアウトプットしてしまおうという試みなのです。

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もちろん、最初はうまくはいきません。だから、最初のうちは手が動かなかったり、流れを受け止めることが難しかったりします。イメージとしては、脳の中を流れる川の細い支流をとらえるだけでも手一杯といった状況でしょうか?

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しかし、慣れてくると、大きな流れをとらえることが可能になってきます。

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もしも、前述の①〜⑧までを、何らかの形でアウトプットできていたとしたら、⑧に意識がいったとしても、適切に①に戻ることも可能になるのです。GTDなどは、まさにこの考え方ですよね。まずは、全てをinboxにというのは、このためです。
あと、ゼロ秒思考もノンストップライティングも、限られた時間の中でやることを旨としていますが、それはこれをやると、意志の力を必要とするからです。だから、あまり長時間はできないのですよね。




checkmark.png 3.アウトプットされたものは、目に見える

さて、ここからは当たり前の話なのですが、アウトプットされたものは、目に見えるようになります。それは、私の頭の中から出たものであったとしても、他の人にも見えることができるという意味です。可視化っていいますよね。
この可視化される状態が、なぜ重要なのかというと、

一瞬前の自分は、果たして自分か?

という問題に突き当たります。
1日前の自分も、1日後の自分も、たぶん揺るぎなく「自分」であることは間違いありません。
しかし、本当に完全に同一なものかというと、そうではないのです。感情も刻々と移り変わるだろうし、考え方だって
刻一刻と変遷しています。ましてや、様々なことを思いつくこの脳みそなどは、一瞬たりともその前の状態と同一とは言えません。先ほど示したように、頭の中は川の流れのように、流れ続けていると考えて良いです。

行く河の流れは絶えずして、元の河にあらず

なのです。
「自分」という容れ物は同じでも、元の自分ではありません。
だからこそ、誰の目にも見えるよう可視化するために、アウトプットしなくてはいけないのです。アウトプットしたものは、誰の目にも見えるからこそ、未来の自分にも見えるのです。



 eyeglass2.png 情報管理LOGの眼
 「自分」は、常に可変的だという認識をもつ大切さ

上でも書きましたが、過去も未来もずっと変わらない「自分」だという認識は、すぐに捨てたほうがよです。むしろ、一瞬たりとも同じでいられないという認識をもつことが、実は大事なのではないか?と思っています。
そのことで、説明できることが、とても多いです。例えば、「絶対にやろう!」と思っていたことが、ズルズルとしないままになっていたりすることとかありませんか?もしも、それを思いついた過去と同じ自分だったら、きっとやったはずです。しかし、それをやらないのは、過去とは違う自分だからです。だからといって、そういう調子で全部をやっていたら、社会生活は営めません。一種の生活破綻者になってしまいます。しかし、そうはならないのは、過去の自分から変化しても、何とか持続できる仕組みをもっているからに他なりません。それは、ある時は「タスク」と呼ばれたり、「約束」と呼ばれたり、「意志」と呼ばれているかもしれません。
可変的な自分という存在を認め、未来の自分のために可視化しておくことが、アウトプット思考法なのです。


今や「方丈記」ってアンリミで無料で読めるのですね。






ゼロ秒思考やアウトライティングは、思考の筋トレだ #アウトプット思考法

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情報管理LOGの@yoshinonです。
よく思考が浅いなと感じることがあります。それは、人に対してもそうですが、自分に対してもそう思うことがあります。または、ある物事に対して、アイデアを出そうとする時、なかなか出て来ないということもあります。これらは、その物事に対する思考が足りていないことを意味しています。今回は、そういう思考が足りていない時にするべきことについて考えてみます。



  
【 ゼロ秒思考やアウトライティングは、思考の筋トレだ 】  

 1.アイデアが浮かばない。物事が整理されない時

 2.ゼロ秒思考とは何か?

 3.アウトライティングとは何か?

 4.思考力は筋トレのように鍛えることができるのです







checkmark.png 1.アイデアが浮かばない。物事が整理されない時

自分を振り返ってみて思うことなのですが、十分に考え尽くしたと思っていることに関しては、それについてのアイデアは割とすんなりと出てきます。しかし、逆にアイデアを出そうとしても、なかなか思いつかなかったりすることもあります。そういう時は、よくよく振り返ってみると、単に深く理解していなかったり、考えが浅かったりということが原因になっていることが多いです。

アイデアは、無から有を生み出す作業だと思っている人も多いかもしれませんが、そうではありません。全くの無から生み出すことができるのは、よほどの天才ぐらいしかいないのではないでしょうか?
実際にアイデアと呼ばれるものは、既存のアイデアの組み合わせであったり、改変であったり、修正であったり、置き換えであったりするのです。

また、課題の解決に当たらなくてはいけない時に、なかなか問題点を整理できずに、ズルズルと状況を引き延ばしてしまうとか、そもそもの問題解決の糸口さえつかめずにいるということもないでしょうか?

アイデアが出て来ない
物事が整理されない


というのは、同じ問題から起因しています。
それは、

そのことについての思考が足りていない

という問題です。




checkmark.png 2.ゼロ秒思考とは何か?

ゼロ秒思考」というのは、赤羽雄二氏が提唱する思考法です。非常に簡単に取り組めるにもかかわらず、効果が高いので、とても支持を集めています。



ざっくりと説明すると

 ・A4一枚に1分以内
 ・1枚につき4〜6項目
 ・なるべく文章で簡潔に書く
 ・1回に10枚ぐらい書く
 ・1行目は、タイトルで下に下線を引く
 ・各項目から派生することがあれば、別の紙に項目を起こして書く
 ・貯まってきたら、カテゴライズする


こういう感じです。
書く内容はどんなものでも良く、気になっていることや、頭に思い浮かんだことなど、とにかく脳の中にあるモノを吐き出してしまうというやり方です。
これの重要なところは、継続することです。継続することで初めて効果を発揮し始めます。逆に数日やったところでは、多少の頭のスッキリ感は得られますが、それ以上の効果は望めません。

これに関しては、こちらでも書いてあります。

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checkmark.png 3.ノンストップ・ライティングとは何か?

ノンストップ・ライティングというのは、「アイデア大全」という本で紹介されていたものです。

こちらもざっくりと紹介すると、

1.書く準備をしてタイマーを15分間にセットする。
2.タイマーがなるまでなんでもいいからとにかく書き続ける。
3.怖い考えやヤバイ感情に突き当たったら(高い確率でそうなる)、「ようやくおいでなすった」と思って、すぐに飛びつく。

(読書猿著『アイデア大全』P.43より)

こんな感じです。
要するに、時間を計って、何でも良いから書け!ということ。

アイデア大全」は、この他にもアイデアを考える方法論がたくさん載っているので、読んで損はないですよ!




「「アイデア大全」」の作者の読書猿氏のツィートです。
ノンストップライティングによって書きためたものを、活用する方法についても述べています。






checkmark.png 4.思考力は筋トレのように鍛えることができるのです

「ゼロ秒思考」と「ノンストップ・ライティング」には、共通点がとても多いことが分かりますよね。

この2つで共通している部分を挙げていくと

・お題にこだわらずに、とにかく書く
・あとで、書いたことを起点にカテゴライズや整理していく


となります。

これは、情報管理LOGが提唱しているアウトプット思考法にも合致しています。
アウトプット思考法の基本のフローは、こんな感じ。

 1.気になっていることを書く
 2.信頼できるツールに投げ込む
 3.アウトプットした内容を見直す(追加・修正・削除)
 4.熟成期間をもつ
 5.追加・修正・削除


フロー図にすると、こうなります。

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アウトプット思考法って何?という人は、この2つを読むと、だいたい理解できます。

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さて、思考力というのは、地頭みたいな感じで、生まれつきのものだという考えを持つ人が多いですが、そんなことはありません。実は、鍛えることが可能だと思っています。むしろ、筋肉のようなものという認識を持っています。つまり、きちんと思考力の筋トレを行っていれば、自ずと思考力が高まっていくことになります。
逆に言うと、思考力(考え)が足りてないなと思う場合は、鍛えることで補うことができるということです。

本当にそんなこと可能なのか?

と疑問に思う人は、毎日「ゼロ秒思考」でも「ノンストップ・ライティング」でも実践してみてください。その代わり、毎日ですよ。
筋トレは、筋肉に適度な負荷をかけることによって、増強されていきます。それと同じように、脳にも適度な負荷をかけ続けるのです。そうすることによって、今まで得られなかったような、爽快感と頭の中が整理されていく感が味わえるのです。

アウトプット思考法は、上の2つの記事を読んでいただければ分かるのですが、「ゼロ秒思考」や「ノンストップ・ライティング」なども包括した思考法に対する考え方になります。なぜ、効果が上がるのか?どうやれば、効果が上がるのか?ということを包括的に体系化したものになります。

アウトプット思考法を実践していて思うのは、アウトプット思考法の最もベーシックな方法である

・書き出せ
・見直せ


この2つだけでも十分に効果があるということです。
しかし、それだけでは思考力がアップするかというと、実に微妙です。スポーツにおけるトレーニングを行うときに、「体を動かせ!」というだけでは、効果が上がらないのと同じです。体を動かすことによって、プラスの側面はあります(全く動かない人よりも)。しかし、実際に鍛えたいと思えば、きちんとしたトレーニングスタイルを取り入れてやる必要があります。それと同じように思考力を高めたいと思えば、そのためのスタイルを取り入れる必要があるのです。

そういう意味で考えたときに、「ゼロ秒思考」や「ノンストップ・ライティング」は、効果が高い方法の1つであるということなのです。
ウソだと思うならば、ぜひともやってみてください。




eyeglass2.png 情報管理LOGの眼
 書き出すことの効用

上でも書きましたが、「ゼロ秒思考」も「ノンストップ・ライティング」も「書く」ことが基本になっています。「話す」でも「思う(または考える)」でもなく、形に残り目で見ることができる「書く」ということが重要なのです。「ゼロ秒思考」では、ペンや紙で書くことを推奨していますが、アウトプット思考法的には、もう少し合理的にあとで「目で見られる」状態であれば手段は問わないようにしています。鉛筆とスケッチブックで書いても良いし、PCに打ち込んでも構わないし、何なら音声入力で文字にしても構わないとしています。
とにかく、脳にあるモノをアウトプットし、可視化することから思考力を高めるトレーニングが始まるのですから。目で見られる状態にするというのが、いかに重要なことであるか?ということについては、後日また書きたいと思います。





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