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少女終末旅行は、ゆるふわ系マンガではなくガチ目のSFだった

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情報管理LOGの@yoshinonです。
先日、最終回が公開された「少女終末旅行」というマンガですが、皆さんはお読みになりましたか?アニメ化もされて、目にされた人も多かったのでは無いかと思います。今回は、ぱっと見ゆるふわ系マンガのようにも見えなくもない、このマンガは実はけっこうガチ目のSFだったということで解説したいと思います。
ネタバレは、少なめで主に魅力について語っていきたいと思います。


  
【 少女終末旅行は、ゆるふわ系マンガではなくガチ目のSFだった 】  

 1.世界観と登場人物

 2.世界の気配

 3.忘却と記憶







checkmark.png 1.世界観と登場人物

まず、この漫画は、ものすごく登場人物が少ないです。むしろ、極端に少ない漫画と言って良いです。主人公は、「チト」と「ユーリ」という2名なのですが、基本的に2名だけで物語は進んでいきます。

髪の毛の黒い右側が、チト。左側のヘルメット被っているのが、ユーリ。

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この二人が、ケッテンクラートという、第二次世界大戦でドイツで開発された戦車+オートバイみたいな乗り物に乗って旅をしています。
これが、ケッテンクラート。

NSU Kettenkrad 36PS 1943.JPG
By Späth Chr. (user ChiemseeMan) - Transferred from de.wikipedia.org [1]: 2006-03-14 22:59 . . ChiemseeMan, パブリック・ドメイン, Link




この二人が旅をしている世界ですが、最初はなんだかよく分かりません。というか、よく分からないまま進んでいきます。分かっていることは、

多層構造の巨大な都市であること。
その都市には人がほとんどおらず、無人に近い状態であること。
崩壊しかかっていること。


ぐらいです。

そう、まるで「BLAME」のような世界観と言って良いかもしれません。「BLAME」は、電脳の中という仮想都市でしたが、こちらは実際に生きている都市という違いがあります。しかし、多層構造でどこまでも続き、人の気配が極端に少なく、時々現れる機械が都市の再構築(または破壊)をしているというあたりもなんとなく似てます。



上が、「BLAME」。そして、下が「少女終末旅行」。

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どちらも、超多層構造都市。

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checkmark.png 2.世界の気配

さて、極端に登場人物が少なく、たった二人だけで廃墟のような多層構造の都市を旅するという漫画が面白いのか?
というと、

これが意外にも面白いのです。

私が、この物語で感じた魅力は、「世界の気配」のようなものを感じことです。
都市が失いつつある人がいた気配のようなものを、彼女たちはそこかしこに見出していきます。

例えば、この回。
この永遠に続いていくような黒い箱のようなモノ。そこには、様々な人たちの思い出の品が納められています。

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誰が、何のために?
それは、ぜひ本編を読んでいただきたいのですが、とにかくかつて「そこにいた人々」の気配があり、それを巡る旅にもなっているのです。
しかし、彼女たち自身は、食料などを調達しながら、ただ上の層を目指しているだけです。その中で偶然にそういう世界の気配を感じながら、進んでいるだけに過ぎません。彼女たちの目的は、「生きて」「上を目指す」だけなのですから。




checkmark.png 3.忘却と記憶

基本的には、二人だけと書きましたが、ごくたまに人が出てきます。その人達とは、ほんの少しだけ関わり、そして別れていきます。
そして、彼女たちは、時々その人たちのことを思い出します。
でも、それと同じ無機質さで、この都市の気配の中から、かつて人がいた痕跡を見つけ記憶にとどめたり、とどめなかったりしています。

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この物語は、私の中では、「忘却と記憶」の物語なのかな?と解釈しています。

「忘却」は、混沌と無秩序の増加→エントロピーの増加。
「記憶」は、それに抗う行為だとします。


都市はひたすら崩壊し、人々の記憶はどんどん忘れ去られるというエントロピーが増大しています。基本的にはすべてが崩壊と世界の終末に向けて動いているという圧倒的なエントロピーの増大が、描かれています。それに対して、彼女たちがやっている事は、世界を「記憶」することに他なりません。そういう小さな抗いが、彼女たちの旅を通して描かれているのです。

また、チトとユーリの関係も実は、「忘却」「記憶」を象徴しています。
チトは、比較的様々なことを記憶しており、さらに本を見つけては、それを収集し読みふけります。つまり、「記憶」にアクセスし、「記憶」が薄れないよう強化しようとしているのです。それに対してユーリは、あまり過去のことを覚えようともせず、会った人のことさえ忘れてしまいがちです。この二人の関係は、そのままこの世界観の関係と地続きになっているように感じます。

そして、「忘却」というのは、「記憶」のエントロピーの増大の結果として引き起こされる「記憶」の一形態に過ぎないのだということが、ぼんやりと透けて見えてくるのです。

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デジカメに残された写真や映像、都市の様々な遺物たち。そして、残されたエネルギーで生き続けるロボットたち。「記憶」に対して圧倒的なエントロピーの増大が訪れつつある都市の中をゆっくりと上を目指しながら、ほんのわずかながら「記憶」を蓄積していくそういう非対象な世界が描かれているSFなのでした。

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最終話が、掲載されていますが、私はまだ読んでいません。
単行本が3月に発売予定なので、その時まで楽しみにしておきたいと思っています。







 eyeglass2.png 情報管理LOGの眼
 ゆるふわ系じゃない

最近ありがちな女の子に色々させて楽しむ系な漫画ではありませんでした。一見、ゆるふわ系に見せかけて、その実、割と本格SF作品でした。
そうそう、アニメーションの方もその雰囲気を残しつつ、非常に上手な作り方をしていました。もしかしたら、あそこで終わらせたのは、良かったのかも。






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