TOP > アウトプット思考法 > title - アウトプットのためのインプットばかりしていると先細るよ?

ITやモバイル機器、iPhone、手帳や本など。
MENU

アウトプットのためのインプットばかりしていると先細るよ?

2018021900.png


情報管理LOGの@yoshinonです。
先日来より、注目している記事があります。
これですね。

デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note

この記事では、インプットせずにアウトプットを続けていると、アウトプットできなくなるよ!
というようなことが書かれています。したがって、

インプットをやめるな。死ぬぞ。

というような言葉を後半に書いています。
なるほど、そういう面もあるかもしれないですね。情報管理LOGでは、「アウトプット思考法」という記事を書いています。これは人ごとではないなということで、このことについて書いてみたいと思います。



  
【 アウトプットのためのインプットばかりしていると先細るよ? 】  

 1.ある記事の紹介

 2.インプットとアウトプットは、卵と鶏か?

 3.「インプット・アウトプット」と「私・レンズ」

 4.アウトプットのためのインプットは推奨しない理由









checkmark.png 1.ある記事の紹介

一番上でインプットとアウトプットについての記事を紹介しました。
しかし、これ1本ではなく、その後に書かれたものや、関連リンクなどもあるので、順番に紹介します。

デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note
デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note


アウトプット地獄の遺産 – footsteps – Medium
アウトプット地獄の遺産 – footsteps – Medium


インプットの枯渇 – footsteps – Medium
インプットの枯渇 – footsteps – Medium






この一連の記事に関しては、ぜひ読んでおいて損はないと思いますが、一応大まかな部分を抜粋すると、こんな感じ。

デザイナーとしての「ゆるやかな死」』から引用すると
※太字は、原文ママ

たしかにNさんはセンスの固まりのような人だった。
口数は少なく、打ち合わせも最低限だけど、アウトプットするものに抜本的な修正を入れられることはあまり見なかった。
今思うとこのアウトプットの低下は「センス残高」の低下なのかもしれない。

そして、ゆるやかな死

デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note



そして、そのNさんは、辞めてしまうのでした。そして、その代わりに作者の人がWebデザイナーとしてやるのでしたが


ある日、コーディングが終わって、久々に依頼されたロゴデザインを着手しようとした深夜、頭を抱えることになった。

「同じようなロゴ」しか作れないのだ。

シンボルなしのロゴタイプ出来た案はとにかく無難な割に仕立てが悪い服みたいに不格好だった。 「ゆるやかな死」が僕に手を振り始めていた。


デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|note



ここに書かれている象徴的な言葉が、「ゆるやかな死」です。
突然死のような急に訪れるアウトプットできないという状況ではなく、その前に自分の中で何かが枯渇(この記事では「センスの枯渇」と表現)してしまうような状況がゆっくりと訪れるというものです。


さて、それを受けてfk@member氏が、Mediumで書いたのが、「アウトプット地獄の遺産 – footsteps – Medium」と「インプットの枯渇 – footsteps – Medium」という2つの記事です。


その中で悪い話の帰結として書いていたのが、こちら。

アウトプットをし続けてしまえばいずれセンスが枯渇してしまう。それは先に書いたデザイナーの記事で先輩の退職として実例が紹介されている。そしてセンスのため込みとは決して簡単にできることではない。疲労や病、あるいは時間が足りなくて、その他の精神的な負担が強くかかっているときには何もため込むことが出来なくなってしまう、そんな可能性もありえる。決してインプットは楽ではない。故にセンスの枯渇はどこかで訪れる可能性が常にあるのだということ。

僕たち、創造者(作り手)としての死はすぐ側に潜んでいることを忘れてはいけない。

アウトプット地獄の遺産 – footsteps – Medium


この記事では、救いのような内容を後半に書いているので、ぜひ参照して欲しいです。


さて、これに対する記事として、インプットの枯渇という記事もこの方は、書いています。なかなか面白いよね。

当時はアウトプットする先が見えていなかった。何のためにインプットする必要があるのか?どんな道具だって使ってこそ価値があるものだろう。それと同じようにインプット行為をするのは良くても、インプットしたあとにどうするのか?その理由が分からなくなっていたともいえる。

インプットの枯渇 – footsteps – Medium




checkmark.png 2.インプットとアウトプットは、卵と鶏か?

インプットとアウトプットというのは、卵と鶏の関係に似ているのではないか?
とつい、そう考えてしまいがちですが、そこまで単純ではありません。そもそも、私たちのアウトプットのこと始めに遡って考えてみましょう。

その前に、ここで書いていく「アウトプット」という言葉の定義ですが、

1+1=?と聞かれて

「2」

と答えるというような感じのアウトプットではありません。
どちらかというと、「表現」という言葉に置き換えることができるようなものとします。

幼少期の頃にみなさんは、お絵かきをしたのではないかと思いますが、最初期のお絵かきは、「スクリブル期(なぐりかき期)」と呼ばれる形にもならない点や線で構成されています。これの期間が、しばらく続いた後に、ある時にその偶然の線に意味が生まれてきます。単なる丸を「ママ」と言ったり、四角っぽい形を「ブーブー」となどと言うわけです。
これが、

2018021901.jpg



こんな感じにね。

2018021902.jpg



様々な形を五感を通じて吸収し、そして何かが生まれます。これらの過程は、たいてい似たような感じで発達段階として現れます。アウトプットされたものは、彼らにとってのインプットになりもするわけです。その中で意味が生成され、それがインプットとして機能し、そして次のアウトプットにつながっていくのです。卵が鶏であり、鶏が卵そのものになるという循環です。したがって、どちらが主(始まり)であるとか従(成果物)であるという考え方そのものが、ナンセンスなんですね。
そして、これは大人にも当てはまると考えられます。

整理すると、インプットとアウトプットの関係は、インプットをただ単にアウトプットするという図式ではなく

2018021903.png



インプットとアウトプットは、循環しているというイメージです。

2018021904.png




checkmark.png 3.「インプット・アウトプット」と「私・レンズ」

ここからは、前述の記事で書かれていたようなアウトプット(センス)の枯渇がなぜ起こるのか?について書いていきます。
よい例えはないものか?とこの数日頭を悩ませていましたが、自分という存在をレンズに置き換えると、とても上手く説明がつくと気づきました。
縦軸が、インプットやアウトプットの量(や質)、そして横軸が時間的距離とします。
図にするとこんな感じです。

2018021905.png



モンブラン氏の「デザイナーとしての「ゆるやかな死」」で書かれていた「ゆるやかな死」が、なぜ起こるのか?ということは、この図で考えると分かりやすです。
あの記事を読んでいるとインプットそのものが、ほとんどなくなっており、なおかつ短期間でアウトプットを要求されるような仕事であったことが理解できます。
それを、図に表すとこんな感じ。

2018021906.png



時間的な距離が短すぎるために、アウトプットそのものも小さくなってしまいます。もしかしたら、アウトプットまでの時間的な距離があれば、多少は改善されたのかもしれません。しかし、インプットからの時間的距離が短ければ、結局、ぼやけたアウトプットにしかなりえないのではないかと思います。

でも、世の中には、やたら短いスパンでとんでもない量のアウトプット出しているのいるよ?しかも、アウトプットの精度も高いヤツ。という人もいるかもしれません。
こんな感じの人。

2018021907.png



でも、それは世の中における特殊な人、いわゆる天才ってヤツです。天才には、天才の世界があるので、他で論じてもらうとして、もう少し普通よりで話を進めたいと思います。

インプットの量が十分にあっても、アウトプットまでの時間的距離が短いと、やはりこんな感じになります。これは、ある程度才能があったとしても、そうならざるを得ないのです。

2018021908.png



では、短期間で大量のインプットをしたら、短時間で大量のアウトプットが可能なのでは?と思うかもしれませんが、たぶんこうなります。

2018021909.png



もはや消化しきれずに、ピントを結ぶことも難しいのです。

そう考えると、適切な時間的距離が実は、けっこう大事だということが分かってくるかと思います。よく1万時間の法則などと言われる(眉唾)のは、この時間的距離を十分にとれよ!ということを示しているのではないか?と考えています。

茂木健一郎 公式ブログ - 一万時間の法則 - Powered by LINE
茂木健一郎 公式ブログ - 一万時間の法則 - Powered by LINE






checkmark.png 4.アウトプットのためのインプットは推奨しない理由

私は、アウトプットのためのインプットは、あまり推奨しません。
「アウトプットするために、インプットをしなきゃ」というのは、人間を単なる土管のようにしか考えていないように感じるのです。

2018021910.png



最初の方に書いたインプットとアウトプットの循環に戻ってみます。
その考えに従ってみると、先ほどのレンズの説明には、さらにこのように付け加わります。

2018021911.png



ちょっと分かりづらくなってしまいましたが、先ほどの考え方で行くと、アウトプットは一方通行ではなく、インプットそのものにもなると考えるのです。アウトプットでありながら、インプットそのものになり、インプットでありながら、アウトプットそのものであるという考え方です。そこに「外からの情報」が付け加わっていくというイメージです。

整理すると、インプットとアウトプットの関係は、一方通行の矢印のような関係ではなく、むしろ循環し回り続けるエンジンのようなものと考えると良いかもしれません。




eyeglass2.png 情報管理LOGの眼
 この話、もう少し続きます

もう少し書きたかったのですが、この記事を書ききるまでの時間的距離が足りませんでした(単に時間が無かった…)。というわけで、次回はこの続きです。


現在、山本直樹の「レッド 1969~1972」を読んでいます。
どうして、こういう異常な状況になっていったのか?ということが、コワイほど分かりますね。



関連記事

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

trackbackURL:http://hokoxjouhou.blog105.fc2.com/tb.php/1112-88e448f3
該当の記事は見つかりませんでした。
SEO
loading
情報管理LOG