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「人間である」という認識の限界についての思考実験

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情報管理LOGの@yoshinonです。
今回は、いつもの情報管理LOGとは趣向を変えて、思考実験をしながら深遠な問いについて考えていきたいと思います。きっと、哲学の世界では、議論されつくされ、まだ議論が続いている分野だとは思いますが、テクノロジーと人間の想像力が、そろそろ哲学に追いつきそうな気配なので、素人思考ながら考察していきます。
もちろん、SFクラスタや哲学クラスタの皆さんから見たら総ツッコミ必至な内容かもですが、ぜひ全力でのツッコミお待ちしております。むしろ、「こんな本を読んでみて!」と教えていただければ、勉強させていただきます。



  
【 「人間である」という認識の限界についての思考実験 】  

 1.生物としての人間

 2.脳の完全シュミレート

 3.遺伝子の容れ物としての人間

 4.人工生命体

 5.情報生命体









checkmark.png 1.生物としての人間

前文だけでは、イマイチ今回の意図について伝わらなかったのではないかと思ったので、再度、趣旨説明します。
今回の記事は、どこまでだったら、それが「人間だと言える」と許容できるかどうか?という思考実験です。
んーそれでも、伝わらない?
では、例をあげながら、書いていきます。

2020年にオリンピックとともにパラリンピックが開かれます。
私は、毎回、パラリンピックでとても感動してしまいます。それは、体にハンデを背負いながらも、それを物ともせず(実際はすごい苦労されているのでしょうけど)スポーツに打ち込む姿が、美しいと感じるからです。私たちは、彼らのことを「人ではない」とは決して思いませんよね?
ある種の宗教によっては、一切の臓器移植やそういう身体的なハンデを補うものを拒否するという教義をもつ人もいるかもしれませんが、それでも多くの人は、身体のハンデを補う術があるならば、積極的に使った方が良いだろうと考えているのではないでしょうか?

最近では、ハンデどころか、人の能力を上回る義足なども登場しています。





TEDに出ていたこの方なんて、すごいですよね。




さて、ここからいよいよ今回の思考実験を始めていきます。
皆さんは、どれぐらいの体のパーツの入れ替えを許容できますか?

足は?手は?心臓は?

色々な教義や考え方があるかもしれませんが、私は基本的に賛成です。
では、科学的に進歩して、ほとんどを人工臓器などで置き換えができるとしたら、どうでしょう?

そこで、第1の心理的な障壁の一つに、「義体」があるのではないかと思います。
例えば、攻殻機動隊では、主人公の草薙素子は、脳以外は全て人工の義体でできています。




考える主体である「脳」があるのだから、それは人間だろう

と思えます。
しかし、もしも義体が人間の形をしていないとしたら?
例えば、どこからどう見ても、犬にしか見えない義体の中に人間の脳が入っていたら?
前述の攻殻機動隊では、こんな義体をもつ「人」が出てきます。真ん中の彼ね。

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これは、人間でしょうか?
パッと見で人間と認識できないかもしれません。それどころか、よくよく調べないと「人間」だと認識できないかもしれません。

先ほどの犬の義体に入った人間の例を出しましたが、もしも発話もできず「ワンワン」としか声が出せなかったら?
それでも、人間としての思考は、しているとします。しかし、もはや誰も見かけからは、人間とは判別できません。内部で人間と同様の複雑な思考をしていたとしてもです。少しずつ境界が、ぼんやりしてきたのではないでしょうか?

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それでは、逆に考えてみましょう。
犬の脳を人間の形をした義体に入れたら、それは人間でしょうか?
きっと、皆さんの大半は、

「それは、さすがに人間じゃないだろ」

と思う人が多いのではないでしょうか?

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形としての「人」ではなく、思考する主体としての「人」こそが、人の本質ではないか?思ったからですか?
では、無脳症の赤ちゃんは、どうですか?

無脳症 - Wikipedia
無脳症 - Wikipedia






彼らは、人間ではないのでしょうか?
私は、彼らにも人権があるし、人であると思う自分がいます。そして人を構成する要素は、どんどん曖昧になっていきます。




checkmark.png 2.脳の完全シュミレート

思考する主体こそが、人間ではないか?と考えた人にとっては、人が人たらしめるのは、少なくとも形状ではなく、「思考」の有無が大きいのではないか?と考えたからではないでしょうか。

では、ここから2つ目の思考実験です。
現在、コンピュータは、日進月歩で進歩し続けています。以前だったら考えられないようなものもシュミレート可能になってきていますよね?
もしも、これからさらに高機能化していき、人間の脳の完全なシミュレーションが可能になったとしたら、そのコンピュータは、人間と言えるでしょうか?もちろん、ニューロンの発火なども、全てシミュレーションしているとします。つまり、人間の脳に起こりうることが、全て起こりうるのです。

もしも、Aという人の脳を完全シミュレーションできたとしたら、そのコンピュータ内にあるA'は、何なのでしょうか?

さらに、もう一歩進めると、もしもその完全シミュレーションした人格(脳)を、人にしか見えない義体に入れたとしたら、それは人でしょうか?

体の中は、血が流れているわけではなく、電気で動いているだけだとしたら?

いや、それはアンドロイドだろ!

とツッコミが入りそうですね。
しかし、その頭の中には、あなたのと同じように(もしかしたらあなた以上に)思考する脳の完全シミュレーションであったとしたら?

あなたと同じように悲しみ、あなたと同じように笑い、あなたと同じように悩むとしたら?
もしも、人と見分けのつかない義体に入っていたら、それは人でしょうか?

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しかし、一番の違いは、「コピーが可能」だということです。
デジタルで再現されるものは、基本的にコピー可能であるという前提ですが、A'だけではなく、A ''であったり、A '''が、同時に存在可能になるかもしれないことを示唆しています。

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そのあたりは、「AIの遺電子」でも語られていますね。
あの世界の中では、人権(?)が認められ、平等に扱われています。皆さんは、アンドロイド(ヒューマノイド)が、存在しうる世の中になった時に、平等に接することができますか?






checkmark.png 3.遺伝子の容れ物としての人間

さて、コピー可能という点では、遺伝子もコピー可能です。
もはや、クローン技術的には、人間のクローンも可能なところまで来ています。

クローン人間は実在するのか?
クローン人間は実在するのか?




年間100頭の食用クローン牛を生産する米企業


カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」は、自分のコピーが存在ことへの倫理的な問いかけにもなっていました。





先ほどのアンドロイドを人間として認めることに心理的な抵抗感がある人は、

遺伝子の存在が大きなウェイトを占めている のではないでしょうか?

確かにアンドロイドには、生物学的な遺伝子はありません。
では、遺伝子が人だったら、それは人だと思えるのでしょうか?

リチャード・ドーキンスは、「利己的な遺伝子」の中で、生物は単なる遺伝子の容れ物に過ぎないのではないか?ということを指摘しました。




つまり、遺伝子による継承性というのが、アンドロイドを受け入れられない理由になるのではないか?と考える人もいるかもしれません。

先日、中国の科学者が、遺伝子編集をした人間の赤ちゃんが誕生したという発表をして、世界中から大バッシングを受けていました。生命倫理的に問題があると叩かれていましたね。

中国の科学者が遺伝子編集した 「ヒト」を作ったと主張。HIV耐性与えるためと説明も信憑性や倫理面に問題 - Engadget 日本版
中国の科学者が遺伝子編集した 「ヒト」を作ったと主張。HIV耐性与えるためと説明も信憑性や倫理面に問題 - Engadget 日本版





しかし、実際にやることと、考えることの間には、深い谷があります。
だから、それがどんなに倫理に反することであっても、考えることだけはできます。

私は、一度「科学技術的にできる」と実証されたことは、やらざるを得ないのが、人の性だと思っています。だから、今回、大バッシングが起きましたが、決して研究は停滞しないでしょう。そして、行き着くところまでいくはずだと思っています。




では、遺伝子編集技術が進み、デザインベイビーが生まれる世界になったとき、そのデザインベイビーは、人であるか?という問いが生まれます。遺伝子の継承性を無視しているからです。

突然変異という自然に起こる遺伝子改変もあるだろ?

というツッコミも当然ありうるかと思います。
したがって、プチ整形のように遺伝子も整形しちゃってもいいんじゃない?という考えもあるかと思います。

では、どこまでの改変までだったら良いのでしょうか?
例えば、この人の遺伝子が含まれた豚についての記事。

Pig-human chimeras contain cell surprise | New Scientist
Pig-human chimeras contain cell surprise | New Scientist






これは、当然人ではなく、豚の形状をしており、豚の体内に人間由来の血液が含まれているそうです。ブヒブヒ言うけど、人の細胞が含まれているのです。

これは、豚で例えただけですが、人にだって同じようにできるはずです。
豚の遺伝子が、含まれた人間だって理論的には、できるはずなんです。

その時、それは人といえるのか?
何%の改変までだったら、人と言えるのか?




checkmark.png 4.人工生命体

さらに思考していきましょう。
遺伝子は、タンパク質の結合によってできています。つまり、それらを人工的に作り上げることも究極的には可能だと言えます。もしも、人間由来ではないけど、限りなく人間と同じ遺伝子を全て人工的に作り上げることが可能になった場合、それは人と言えるでしょうか?

いわゆる人工生命体です。

人間と同じように血が流れ、人間と同じように思考し、人間と同じ感情もあるとしたら?
しかし、遺伝子は、完全フルスクラッチなのです。

天才にも、美男美女にもなりうるし、どんな人にもパラメーターを調整するだけで、生まれることが可能な人工生命体だとしら。果たして、それは人間でしょうか?

森博嗣のWシリーズは、そのあたりに切り込んでいる小説です。




その亜人間とも言うべき、全て人工の細胞で作られたウォーカロン(単独歩行者)が出てくるのですが、人間の定義が読んでいるうちに曖昧になってくるはずです。




checkmark.png 5.情報生命体

さて、いい加減文章が長くなりすぎているので、そろそろ最後にします。最後は、情報生命体です。
先ほどのフルスクラッチの遺伝子は、物理的な存在ですが、それさえも捨てて、全てをビットで表すことができたしたら?

さらに、先ほどの脳の完全シミュレーションと同じように、人間の遺伝子の完全シミュレーションだったらどうか?ディスプレイの中で成長する完全シミュレーションの遺伝子をもつ人は、人と言えるのか?
その境界は、どこまでも曖昧になっていきますね。

脳の完全シミュレーションでも、遺伝子の完全シミュレーションでも良いのですが、全てがビットで置き換え可能になった場合、インタフェイスはどのような形であれ(人型でもディスプレイの中であっても)、その中に存在するものは、果たして人であると定義できるのか?

人と同じように感情をもち(実は感情の定義も難しいのだけど)、人と同じように考え、話すことができる存在が現れたときに、それを果たして人間と定義できるのでしょうか?
TGCAという情報の組み合わせである遺伝子と0と1組み合わせであるビットの世界いずれも、情報であることには変わりはありません。

人を情報に置き換えたときに何が起こるのか?「ニルヤの島」は、そういうことを考えさせてくれます。




もしも、ディスプレイの中の人の完全シミュレーションが、

私は、人なので人権を求める

と言ってきたときに、あなたはどう考えるでしょうか?




eyeglass2.png 情報管理LOGの眼
 人という定義の曖昧さ

今回は、思考実験として人の定義の曖昧さについて書いていきました。これを書くきっかけとなったのは、やはり先日の中国の科学者による遺伝子編集の赤ちゃんのニュースを観たからです。科学技術が、私たちの想像力の限界に近づいたときに、どんなことが起こるのかな?と考えてみると、人間の定義は、どんどん曖昧になっていくのですよね。特にその境界線は、ぼんやりとしており、逆に私たちに「人とは、定義可能なのか?」ということを突きつけてきます。
私は、案外、ほとんど認めてしまうような気がするのですよね。法律的な問題は置いておいて。




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