アウシュビッツ(ホロコースト)について知るための読書&記事案内

情報管理LOGの@yoshinonです。
今回は、急きょ予定していた内容を変更して(マンガ大賞2019が発表されたので「ブルーピリオド」について書こうと思っていた)、アウシュビッツ(やホロコースト)について書いていきたいと思います。情報管理LOGの趣旨としては、ITや文具系をメインとしているのですが、同じ日本人として見逃すわけにはいかないと感じたので、今回の記事を書くことにしました。ただし、政治的な主張をするわけではなく、情報管理LOGらしく本と記事の紹介を淡々としていきたいと思います。もしも、今まで興味が無かった、よく知らなかった。何となく知っていたけど、もう少し詳しく知りたいという人にとって、多少有益かと思います。
【 アウシュビッツ(ホロコースト)について知るための読書&記事案内 】 1.なぜこの記事を書こうと思ったのか? 2.本 3.記事 |
上でも書きましたが、今回の記事の予定では、マンガ大賞2019が出たので、私が激推ししている「ブルーピリオド」について書こうと思っていました。しかし、一度それを棚に戻し、アウシュビッツ(ホロコースト)について書くことにしました。
もうすでにかなり炎上していますが、このツィートが発端ですね。ちなみに高須克弥氏のツィート自体は、2015年のものとかなり時間が経過していますが、それが今回、アウシュヴィッツ博物館の公式アカウントに発見され、抗議を受けています。
アウシュビッツは世界中の人々の心に絶えず忠告する史実です。
— Auschwitz Memorial (@AuschwitzMuseum) 2019年3月15日
ナチス・ドイツによって造られたその強制・絶滅収容所の史跡は、
人類史上最大の悲劇を象徴しています。 https://t.co/a5BRf0PbjE
わざわざ日本語でツィートしてくれているところに、何重の意味にもわたって、この元ツィートの痛々しさが伝わる(はず)です。
日本では、政治的な主張は、センシティブで表だって語ることを、若干忌避する傾向があります。それも分からなくはないのですが(普段の情報管理LOGだって、そういうのを極力載せないようにしているし)、では、デマを流したり、「捏造だ」と騒いだり、偽科学的なことを平気で流布するのをだまって容認することにはなりません。むしろ、デマがデマである事を、逐一面倒で労力がかかることではあるけど、言わなければ巡り巡って、自分の首を絞めかねないと思うのです。
デマを流す人に対して、それを否定するというのは、通常何倍もの労力を要するという非対称性があります。
デマを流す<<<<<デマを否定する
しかし、それでもやらなくてはいけないのは、ひとえに同じ歴史を繰り返したくない、という想いがあるからです。そして、自分の子どもに同じ目に遭わせたくない、同じことをさせたくない(これらは、紙一重なのです)と自己中心的に思っているからです。
そして、それを後押ししてくれているのが、この詩です。
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから
彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
そういうわけで、今回は情報管理LOG的にできることと考えて、読書と記事案内をすることしました。
夜と霧 新版
実際にユダヤ人収容施設に入れられ、虐待され、そして生き延びたヴィクトール・E・フランクル氏の実際の体験、そしてその実際の体験から導き出された人間の本質、さらに絶望の淵にあって、どのように生き延びるための心をつないだのか?それらが、余すことなく描かれています。
ハッキリ言って読むのは、辛いです。私も最初読んだときは、何度か時間を空けながら読みました。それでも、読む価値があると思っています。
人は人に対して、どれほど残酷になり得るのか。そして、圧倒的な組織的な残酷性の前に絶望に飲まれず、明日に希望をつなぐのか。インサイドからの貴重な手記であると同時に、人の存在について考えさせられる名著です。
ホロコースト―ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書)
中央公論新社
紙の本の価格: ¥ 929
Kindle 価格: ¥ 860
なぜあのような非人道的な大虐殺をすることができたのか?
ヒトラー政権下のドイツ人が、元々残虐性があったからか?
ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)が起きた過程について、全体を俯瞰して理解するには、非常によい1冊だと思います。新書なので、それほど時間がかからずに読めるし。
これを読むと、前述の「元々残虐性が~」というのは、否定されていきます。むしろ、抗うことが難しいぐらいに、社会の風向きが変わり、徐々に組織化され、最後は隣人を収容所に送り虐殺に加担していくことへ躊躇がなくなっていくような過程が冷静な筆致で書かれています。先ほどの「夜と霧」が、あくまで体験したユダヤ人目線であるならば、こちらはナチス目線から描かれています。
そして、「ヒトラー」=「虐殺を圧倒的に指示して実行した人」とも描かれてはいません。むしろ、無自覚な組織的犯罪であったことが理解できるはずです。
エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告【新版】
みすず書房
紙の本の価格: ¥ 4,752
Kindle 価格: ¥ 4,400
アイヒマンというのは、実際に虐殺を計画・指示し実行した人として有名な人です。この著者であるハンナ・アーレントは、ユダヤ人としての出自をもち、アメリカに亡命した哲学者です。そのアーレントが、実際にアイヒマン裁判を傍聴し、克明に記録し、そしてそこからある考えを導き出します。それは、そのような圧倒的に残虐性に満ちた戦争犯罪を犯したアイヒマンは、稀にみる残虐性を持った人間でも何でもなく、むしろ凡庸で陳腐な人間であったことを暴き出していきます。それが、表題にもなっている「悪の陳腐さ」にも結びついています。そこから導き出されるのは、あのアウシュビッツのような大虐殺を起こしてしまうのは、悪魔性でも何でもなく、無思慮で凡庸な、拡大して言えば、どんな人間にも起こりうることだったということが浮き彫りになっていきます。
かなりのボリュームがありますが、読む価値はあります。
【併せて読みたい&観たい】
そのハンナ・アーレントについて書かれた本です。彼女は、件の「エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告」を書いたとき、ユダヤ人社会からかなりのバッシングを受けたと言われています。しかし、それでも主張を曲げず、真実を追究した姿勢は、賞賛に値するなと思っています。事実を積み重ねていった先に見えた真実が、自分が望むようなものでなかったとしても、それを受け入れ、そこから思索を重ねるという行為そのものが学問であり、そういうった社会に流されやすい集団心理を生まない土壌を創り出すのだということが分かるはずです。逆に言えば、その当時、虐殺を犯した大犯罪者であると見なしていたアイヒマンのような人間が、凡庸で悪魔的な人間性ではなかったことを受け入れることができなかったユダヤ人の姿そのものに、同じ過ちを繰り返す萌芽を感じることができるのですが、いかがですか?
このハンナ・アーレントを主人公とした映画も作成されています。Amazon Primeで観ることができるので、こちらもどうぞ。
ゲッベルスと私──ナチ宣伝相秘書の独白
ゲッペルスというのは、ヒトラーの右腕と呼ばれていた人で、ナチスドイツの躍進にかなり貢献した人です。そして、もちろんユダヤ人虐殺にも大きく関わっていました。
この本は、そのゲッペルスの秘書をしていた人に対する膨大なインタビューを元にした回想録です。先ほど紹介した虐殺を先導していたアイヒマンは、裁判という過程を経て、全体像が明らかにされていますが、ではナチスを構成する人達は、どうだったのか?しかも、ゲッペルスという主要な人物に関わっていた人達というのは、ナチスに心酔し、犯している戦争犯罪行為が美化されるほど洗脳されていたのか?と思ってしまいます。しかし、ここでも示されるのは、無思慮なただの人という形しか浮き彫りになりません。「政治に無関心だった」と語り、食い扶持のために、ナチスの宣伝省に入り、そして秘書官になるまでなっているにも関わらず、そこから得られるのは、「私は、知らない」「虐殺とは無関係」という、まるで人ごとのように聞こえる言葉の数々です。これは、単なる自己弁護でしょうか?私は、これこそが、ホロコーストを引き起こした本質だと思っています。組織化され、細分化され、「自分は、部分しか知らない」「命令されただけ」「理解していなかった」と責任の境界が曖昧になっていく無自覚さがです。
簡単に無自覚にヘイトをリツィートするのも、差別主義者に「イイネ」をするのも、全てが同じ根本に由来すると思うのです。だからこそ、読んで欲しいです。
これは、映画にもなっています。こちらも、ぜひ。
【改訂完全版】アウシュヴィッツは終わらない これが人間か
朝日新聞出版 (2017-10-10)
売り上げランキング: 13,692
「夜と霧 新版」と同じく、実際にアウシュビッツでの収容所から生還した人の手記です。無関心・無思慮が及ぼす影響が、最終的にどんな不幸な結末を及ぼすのか?ということが、痛いほどに理解できるはずです。同じ轍を踏まないためには、まず何をすべきか?理解できると思えます。
知っているものは語らず、知らないものは質問をせず、質問されても答えない、というたしなみだ。こうして一般のドイツ市民は無知に安住し、その上に殻をかぶせた。ナチズムへの同意に対する無罪証明に、無知を用いたのだ。
プリーモ・レーヴィ「これが人間か」 - 野の学舎
私たち自身やその周りも同じことをしていないか、そっと胸に手を当てて考えてみたいですね。
この詩は、この本にも集録されているものです。ぜひ、読んでみてください。
暖かな家で
【改訂完全版】アウシュヴィッツは終わらない これが人間か (朝日選書) | プリーモ・レーヴィ, 竹山博英 |本 | 通販 | Amazon
何ごともなく生きているきみたちよ
夕方、家に帰れば
熱い食事と友人の顔が見られるきみたちよ。
これが人間か、考えてほしい
泥にまみれて働き
平安を知らず
パンのかけらを争い
他人がうなずくだけで死に追いやられるものが。
これが女か、考えてほしい
髪は刈られ、名はなく
思い出す力も失せ
目は虚ろ、体の芯は
冬の蛙のように冷えきっているものが。
考えてほしい、こうした事実があったことを。
これは命令だ。
心に刻んでいてほしい
家にいても、外に出ていても
目覚めていても、寝ていても。
そして子供たちに話してやってほしい。
さもなくば、家は壊れ
病が体を麻痺させ
子供たちは顔をそむけるだろう。
――プリーモ・レーヴィ
❏ アウシュヴィッツには別に何もなかった - It all depends on the liver.
アウシュヴィッツには別に何もなかった - It all depends on the liver.
タイトルだけで分かった気にならないように!
そう、アウシュビッツは、今は誰でも見学可能な場所です。でも、知らないで行ったら、だだっ広い土地に変な建物が建っている場所に過ぎないと語っています。(とはいえ、未だに残されている大量の髪の毛や入れ歯、カバン、靴の数々などは、それだけでも何もないとは言えないのでしょうけど)
そこは、今は遺体もなく、ただの施設ですが、なぜそれがそこにあるのか思いを馳せる場所としての機能は、今も健在なのです。
❏ アウシュヴィッツ博物館初の外国人ガイド・中谷剛さん「タブーに立ち向かうのは戦争を経験していない世代」 | ハフポスト
アウシュヴィッツ博物館初の外国人ガイド・中谷剛さん「タブーに立ち向かうのは戦争を経験していない世代」 | ハフポスト
そして、上の記事で彼のアウシュビッツでのガイドをしていた方の記事です。
アウシュビッツで公式ガイドとして、19年間も務めていらっしゃるのです。それだけでもすごいですが、それよりもガイドとしてどのようなことを気をつけているのかという話をしているだけで重みがあります。この記事では、戦争を経験していない世代が何をすべきか?ということを書いています。そうなんですよね。原爆にしても、アウシュビッツにしても、もう生き証人がどんどん減っていく中で、それを次世代にどのようにつないでいくのかというのは、確かに大きな課題ですよね。
私たちが、無自覚に「この平和は、ずっと続いていくのだ」という何の根拠もない平和神話の危険性についても説いています。
❏ アウシュビッツが捏造だと思うなら、アウシュビッツに行こう|アメリカはいつも夢見ている|渡辺由佳里|cakes(ケイクス)
アウシュビッツが捏造だと思うなら、アウシュビッツに行こう|アメリカはいつも夢見ている|渡辺由佳里|cakes(ケイクス)
今回のツィートを読んで、以前書いた記事の補足を書いた記事です。
そのこの方が、以前書いたという実際にアウシュビッツに行った時の様子を伝えた記事がこちらです。
私には、すでに生きる価値はあったのだ | 渡辺由佳里のひとり井戸端会議
ぜひ、どちらも読んで欲しいですね。
日本人で原爆が広島と長崎に落ちたことを疑ったり、「捏造だ」と騒ぐ人は、ほとんどいませんよね?でも、それと同じことをしているということを、「捏造説」で騒ぐ人達は、どう考えているのだろうと思ってしまいます。
すでに史実として繰り返し検証されていることへの「捏造説」を見かけてそれを信じたくなったときには、「なぜ自分は捏造説のほうを信じたくなるのだろう?」と自問してほしい。すると、「真実から目をそらしたい」という自分の中にある理由を見つけられるはずだ。それは「自分の祖先がそういう人間だとは信じたくない」という理由かもしれないし、「史実として認められているものを否定できるほど自分は頭が良くて偉大だ」というナルシスティックな理由かもしれない。
アウシュビッツが捏造だと思うなら、アウシュビッツに行こう|アメリカはいつも夢見ている|渡辺由佳里|cakes(ケイクス)
そして、その理由について自問してみて欲しいですね。
「なぜ、自分はそのように思いたいのか」ということを。
❏ 『否定と肯定』 歴史を否定する人と同じ土俵に乗ってはいけない:朝日新聞GLOBE+
『否定と肯定』 歴史を否定する人と同じ土俵に乗ってはいけない:朝日新聞GLOBE+
「南京もアウシュビッツも捏造だと思う。」という荒唐無稽な妄言に対して、それを否定することの労力というのは、なかなか労力に見合ったものにならないことが多いです。さらに言うならば、それらのデマを否定するために議論を始めると、まるでデマや妄言が、同じ土俵の上にある1つの論のように見えてしまうという問題があります。
この「否定と肯定」という映画は、まさにそのようなことが起こったというノンフィクションです。
「ホロコーストはなかった」という荒唐無稽な論を、学者が緻密に積み上げた見解と並列させて議論すると、前者がまるで傾聴に値するかのように思わせてしまう。だから同じ土俵に乗ってはいけないというわけだ。
『否定と肯定』 歴史を否定する人と同じ土俵に乗ってはいけない:朝日新聞GLOBE+
この映画のPRを観ていただければ、すぐさまこれがどういう事件だったのか理解できるハズです。
この映画の主人公であるリップシュタット教授は、アメリカで教鞭を執っている学者なのです。それにアーヴィングという「アウシュビッツは、なかった」という男が、名誉毀損で、訴えたのです。しかも、イギリスで。
英国は名誉毀損で訴えられた側に立証責任がある。つまりこの訴訟の場合、「ホロコーストはなかった」とするアーヴィングの論拠が間違っていることをリップシュタット教授が証明しなければならない。国外での裁判、費用も莫大だ。
『否定と肯定』 歴史を否定する人と同じ土俵に乗ってはいけない:朝日新聞GLOBE+
まさに、上記で挙げた
デマ・妄言をばらまく<<<<<デマ・妄言を否定する
という労力の非対称性が、ここでも見られるのです。
最終的に(当たり前のことだけど)リップシュタット教授が、勝訴するわけですが、そのことに対してこのように締めくくっています。
「判決日は、どんな報道が出てくるか気になった。アーヴィングが報道陣に『これはすべて嘘だ』と言い立てるのではないかと。でも新聞は彼を『ホロコースト否定論者』と書くようになった。法廷がそう宣言したからだ。確かに彼は否定をやめなかったが、人々が彼に注目するのをやめた。彼はいまや『年老いた嘘つき』と見なされている」
『否定と肯定』 歴史を否定する人と同じ土俵に乗ってはいけない:朝日新聞GLOBE+
デマや妄言をばらまく人を「ホロコースト否定論者」という歴史の事実の対極に置くのではなく、単なる「年老いた嘘つき」にしていくことが、大事なのです。これは、とても示唆に富むなと思いました。
❏ ナチス宣伝相の秘書が残した最後の証言「私に罪はない」の怖さ | ハフポスト
ナチス宣伝相の秘書が残した最後の証言「私に罪はない」の怖さ | ハフポスト
本の紹介の方で、紹介した「ゲッベルスと私──ナチ宣伝相秘書の独白」の映画公開前のトークイベントを記事にしたものです。
彼女が選んだ人生は、自分の食い扶持から始まり、ナチスの中でのキャリアアップでした。
真面目で職務に忠実な彼女が望んだのは自分のささやかな幸せだった。それは疑いようがない。だが、その先は無関心だった。彼女のユダヤ人の友人エヴァがアウシュヴィッツ強制収容所に送られていることを知ったのも、戦争終結から60年以上がすぎてからだった。
ナチス宣伝相の秘書が残した最後の証言「私に罪はない」の怖さ | ハフポスト
目の前のささやかな幸せの追求。それ自体は、悪いことではないし、誰しも目指していることだと思います。しかし、その過程で生じたあらゆる醜悪なことからは、目をそらし続け、自己弁護に終始します。
最初は気持ちがいい老婦人の独白として受け止める観客も、やがて語られる様々な事象を聞きながら不安に思ったり、恐怖を感じたりするのではないでしょうか。
ナチス宣伝相の秘書が残した最後の証言「私に罪はない」の怖さ | ハフポスト
今を生きる人たちがあの時代を振り返り、「自分なら抵抗できた」と簡単に言い切ることに言及した場面だ。彼女の口調をやや強めて、カメラの前でこう言い切った。「体制から逃れることなんて絶対にできない」と。
ナチス宣伝相の秘書が残した最後の証言「私に罪はない」の怖さ | ハフポスト
これと、同じことを自分が、絶対しないと言い切れるか?
というと、簡単に「絶対にできる」とは言えないのですよね。だからといって、そのような残虐性を帯びた体制になったとき、ただ静かに目をそらし続ければ良いかというと、決してそうではないからです。

無関心・無思慮の結果
ホロコーストにしても、この世界の様々なところで起こった大虐殺にしても、現在進行形で行われている中国によるウィグル人への弾圧にしても、無関心であるべきではないと思っています。ナチスドイツは、民主的に選ばれた末の政権でした(3割の人達に支持された。3割であってもこのような結果を及ぼす)。一番最初に挙げたマルティン・ニーメラーの言葉に由来する詩を思い出すと、「自分には関係ないから」「自分とは遠い世界のことだから」という無思慮な無思考が、最終的には甚大な結果をもたらすということを私たちは、歴史から学んでいるはずです。だからこそ、無関心・無思慮であることは、歴史上の罪になりうることをよくよく自戒しなくてはいけないと思っています。それが、今回の記事を書いた理由です。
ハーパーコリンズ・ ジャパン
Kindle 価格: ¥ 1,188
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