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「愛と呪い」にしばらく動けなくなった

2019年12月07日
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情報管理LOGの@yoshinonです。
先日、「愛と呪い」という漫画を読みました。少し話題になっていたので、どんなものかな?ぐらいの軽い気持ちで読んでみたら、鈍器で頭を殴られるぐらいの衝撃でした。しかも、不意打ちレベルの。
読み終わったときには、すっかり度肝を抜けれて、しばらく動くことができませんでした。

今回は、この衝撃作について取り上げてみたいと思います。


  
【 「愛と呪い」にしばらく動けなくなった 】  

 1.全体の構成

 2.1巻

 3.2巻〜3巻








まずは、全体の構成を追っていきたいと思います。
この「愛と呪い」は、全3巻です。1巻は、KIndleアンリミ対象になっています。
まず、この表紙をご覧いただきたいと思います。







この3巻を通読して、改めてこの表紙を見ると、この表紙に全て凝縮されていると思わざるを得ません。そして、これほど雄弁な表紙というのは、あまりないのではないか?と思ってしまいます。

どの巻の表紙を見てみても、女の子(最後は女の人か)の泣き顔がドアップで写されています。そして、その表情。さらに、表紙に散りばめられた言葉の数々。

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この表紙を見るだけで「痛さ」が伝わってきますよね。

この作者は、「ぼくらのヘンタイ」という作品を描いた方です。
「ぼくらのヘンタイ」では、作品全体を通して、男女のあり方や恋愛とはなんだろう?など幾重にもテーマが折り重なっています。まだ未読の方は、ぜひこちらも。ただし、別にこちらを読まないと「愛と呪い」が読めないかというと、そんなことは全くありません。



さて、この物語が取り扱っているのは、児童虐待です。
しかも、性的虐待です。
しかも、実父の…。

3巻を通して語られるのは、まさにタイトルそのものの、家族に対する「愛」と物語の大部分を占める自分自身にかけられた家族のという名の「呪い」です。
そして、この作品の凄みは、この作品が作者であるふみふみこ氏の半自伝的クロニクルだというのです。

そのあたりが、インタビューによって語られています。

死にたいとすら思ったあの頃。宗教は私を救ってはくれなかった......『愛と呪い』ふみふみこインタビュー【前編】 | ダ・ヴィンチニュース
「すべてがぶっ壊れればいいのに」とにかく生きづらかった10代――『愛と呪い』ふみふみこインタビュー【後編】 | ダ・ヴィンチニュース


物語の舞台は、ある地方都市で、主人公は2時間かけて宗教都市(作中では問道教と語られているけど、たぶん天理教)にある学校に通っています。祖母は、その問道教を一心不乱に信仰しており、父は実の娘である主人公に家族の目の前でも関わらず、性的虐待を加えています。そして、それを見ている家族は、助けることもせず日常の一コマとして扱いほのぼの笑っている…というかなり狂った世界です。

このようなあまりにも壮絶な現実に直面した主人公が、幼少期~中高生~そして自立した大人になるまでの半生記として描かれています。

ハッキリ言って、タイトルでも書きましたが、1巻を読み引き込まれ、そして一気に2・3巻を読み切ったのですが、読み終わったとき、しばらく動くことができませんでした。たぶん、漫画として今年一番の衝撃度であり、深く心に刻まれた作品となりました。まだ、未読の方がいるならば、必読だと思います。ただし、性的虐待に関して、拒絶反応(ない人いないと思うけど)が強い人は、読まない方が良いかもしれません。

さて、ここからは、ネタバレを含みます。
したがって、もしも未読の方は、読んでもらって、そのあとでもう一度読みに来てください。そして、読まれた方は、この作品について語り合うための材料として読んでみてください。




以下、ネタバレあり。↓




ほとんど冒頭から実父による性的虐待が描かれており、嫌悪感マックスに持って行かれます。しかし、それは本当の序章に過ぎず、主人公が置かれている状況が苛烈なモノであることが、徐々に明かされていきます。

上でも書きましたが、祖母は問道教という宗教に盲信しており、常にお経がバックミュージックのように家に流れているような感じです。父は、実の娘に対し、幼少の頃から性的いたずらから始まり、性的虐待(性交を含む)を行っています。母親も問道教の信者であり、父親の娘に対する性的虐待を見て見ぬ振りをしています。姉弟として弟もいるという家族になっています。

父親が、娘に性的虐待をしている横でテレビを観ながら家族団らんしている様子は、ホラーにようです。しかし、一介のホラーよりもそういうところにリアリティがあり、もっと恐ろしい何かのようです。

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そして、主人公の山田愛子が通う学校は、その問道教が運営する宗教系の学校で、教祖である猪木せんせいの教えを斉唱したり、黒板の上に額に飾っているような学校です。

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1巻における一つのテーマは、友人と裏切りです。

そのクラスの中で一人異彩を放っている松本さんという人が出てきます。この子は、震災において(阪神淡路大震災?)、倒壊した家の中で次第に弱っていく弟をどうすることもできないまま死なせてしまったという過去を持っています。そのため、祈りは意味が無く、そんな宗教を盲信しているクラスの仲間に対して嫌悪感を持って生活しているのです。そんな松本さんに自分を重ね合わせ、松本さんが壊してくれるかもしれないこの世界に夢を託すようになっていきます。まさに破壊願望そのもの体現者としての姿を求めるようになっていきます。しかし、それと同じように今ある生活の中を器用に生きたいという思いもあるのです。

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そんな中で器用に立ち回っていたかと思われたのですが、徐々に崩壊していきます。友だち三人と告白した男の子に「セックスをしたい」と手紙で書き、気味悪がられてしまうのです。ここが、彼女の悲しいところなのですが、父が行っていた行為は、(憎むべきかつ、受け入れられないが)愛情を示す行為だと思いたかったということが、こういう形になって表れたのではないかと思いました。

それが、きっかけで学校をしばらく休んでいたときに起こったのが、「酒鬼薔薇聖斗事件」でした。この物語は、平成という時間軸の中でリアルに起こった事件が重ね合わされていきます。あの時代の鬱屈した感じと重ね合わせながら描いていくことで、さらにリアリティが増していきます。

久しぶりに学校へ行くと、猪木せんせいを殺し、級友達も皆殺しにしたいと語っていた松本さんが、変貌し、あちら側にいってまったことを目の当たりにします。

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彼女にとって、この世界と自分自身を破壊してくれたかもしれない希望が、まさに潰えてしまったのでした。

彼女にとって幸か不幸か、狂うこともできず、今の状況を破壊することもできないということそのものと、「酒鬼薔薇聖斗事件」や「オウムのサリン事件」を対比しているように感じられます。一線を越えて、破壊に向かってしまった者達と、人にその思いを託すことはあっても、自分自身でそれ自体を破壊するには至らないという対比。同じ破壊願望者であっても、その一線は深くて暗い溝があります。

1巻の過去の絵柄は、ふんわりとしたマーカーを基調とした柔らかくぼんやりとした線で描いています。さらに漫画的な表現も多用されます。

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しかし、唐突に挟み込まれる(たぶん)現在の自分自身の姿は、くっきりとした筆圧の高い線で描かれています。さらに、2~3巻にかけて次第に緻密で描き込みも多くなり、リアリティ感のある描かれ方をしています。この描き分けもこの作品において秀逸な点だと思いました。

今の愛子の姿は、くっきりとした線で描かれている。

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松本さんが、「酒鬼薔薇聖斗事件」をきっかけに正気な世界といっても宗教にどっぷりつかったあり得ない世界に還っていくのを目の当たりにして、いよいよ信じられる世界が消えてなくなるのを実感していくのです。

最後の方に唐突に挟み込まれる現在(20年後)の愛子が、語る「呪い」についてが、この「呪い」が、未だに衰えることもなく、彼女をむしばみ続けていることを示唆しているように感じられるのです。





1巻ずつ丁寧に追っていっても良かったのですが、自分の中では、1巻と2~3巻という区分けがスッキリするように思いました。

1巻は、愛子がその後背負っていくトラウマがどのように生まれていったのかが語れ、2~3巻において、そこからどのようにサバイブするか?(サバイブし続けるか?)ということが描かれているからです。

2巻は、高校生になり、援助交際を始めるところから始まります。
しばしば、虐待の被害者が、自傷行為に走ったり、自己破壊行為に及ぶということがあります。まさに、彼女自身が、その虐待児童のサバイブに陥っている状況が、2巻です。しかも、頻繁に援助交際し、その様子をもう一人の自分が、上から眺めているという様子が描かれます。これは、「離人症」という症状に近いかもしれません。

離人症(りじんしょう、英: Depersonalization)とは、自分が自分の心や体から離れていったり、また自分が自身の観察者になるような状態を感じること。その被験者は自分が変化し、世界があいまいになり、現実感を喪失し、その意味合いを失ったと感じる。慢性的な離人症は離人感・現実感消失障害 (DPD)とされ、これはDSM-5では解離性障害に分類される(DSM-IVの離人症性障害)[1]。 ある程度の離人症や現実感喪失は、一時的な不安やストレスなどによって誰にでも起こり得るものである。

離人症 - Wikipedia


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2巻では、愛子の状況が変わっています。家を引っ越しし、部屋と浴室に鍵がかかるようになり、父親からの性的虐待がなくなります。
それとともに、母親は外の世界(バレーをしていたらしい)に逃げている様子が、ほんの少しだけ描かれます。そして、一見すると何もない、外から見たら幸福に見える家庭。

2巻の大きなポイントは、田中という男との出会いと別れです。

援助交際を通じて知り合った田中という男にだけ、自分の気持ちを正直に話すことができるというのは、象徴的だなと思います。彼は、愛子が実父に性的虐待をされていたことを告白しても「ようあることや」と取り合いません。自分だけが特別で、自分だけが不幸のどん底であったという個人の体験が、相対化され、「よくあること」の一部として晒されるのです。田中という自分の中の欺瞞を映し出す鏡のような存在にいつの間にか惹かれていきます。

世間的に見て「よくあること」(いや、そこまでよくはないだろ?)と、自分の個人の体験としての悲惨さが、消化されないままない交ぜになりいよいよ自殺に向かっていきます。究極の自己破壊である自殺も上手くいかず、田中にも図星な指摘をされ、その元凶であった父親の殺害をしようとします。しかし、それもできずに終わってしまいます。

彼女の狂うこともできない「特別な何か」にもなれないという八方塞がりな自分に気づいていくのです。




そして、圧巻の3巻。
二十歳になった愛子は、完全に家に引きこもり、生きる気力も無く太り不潔なまま生きています。自殺というのは、やはりエネルギーがいるということが分かりますよね。死ぬこともできず、生きる気力を失うというのは、こういうことなのです。

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この3巻は、社会復帰、そして結婚と離婚を通して、自分が母にも女にもならないでよいのだという境地にたっするまでの軌跡を描いています。
社会復帰してもうつ病の発作に悩まされ、それでもなんとか生きようともがく姿に心を打たれます。

そして、このシーン。父親は、ついに黒く塗りつぶされています。

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こんな風に例えて良いか分かりませんが、1巻までは、テレビの向こうの「リング」の貞子のような感じ。あくまで物語として「あるかもしれない」と読む事ができます。しかし、3巻は、そのテレビからヌッと手が出てきて、その貞子が出てくるように、現実に侵食してきます。それは、たぶん今の自分の年齢に近づいて来ているからかもしれません。しかし、それだけではなく、愛子がもがいているリアルタイム性がそう思わせるのかもしれないです。今、まさに苦しんでいるという感覚が、自分の首回りに忍び寄る感覚です。

もしも、愛子が自分の境遇について、旦那さんであるゆうくんに正直に話すことができていたら…。という「もしも」を考えてしまいます。

そして、東日本大震災が起き、離婚をし、全てから開放されていく様子が描かれています。しかし、それは、きっと終わりではなく、一生消えることなく続いていく「日常」なのだということを突きつけられます。

最後の方に母親からの贖罪があります。
父という分かりやすい「悪」に対して、気づいていながら何もしなかった母親という見えざる自分を苦しめる「悪」。それと向き合うことで、乗り越えられるきっかけが生まれたの「かも」しれません。しかし、それさえも過去になりながら、寄り添い続いていく日常を生きることのしんどさを突きつけていくのかもしれません。しかし、それでも、この物語のラストは、ほんのわずかな希望のようなものも見いだせなくはありません。この表紙の絵のように。

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eyeglass2.png 情報管理LOGの眼
 とにかく読むと良いと思う

今年一年を振り返って、単独作品を推す記事ほとんど書かなかったなと思いました。相当読みまくったわけですが、良い作品もけっこうありました。「ブルーピリオド」「響」「空挺ドラゴンズ」「左ききのエレン」「へんなものみっけ!」などなど、山ほどあります。
とはいえ、衝撃度では今年ナンバーワンなのは、間違いありません。
もしよければ、ぜひ手に取って読んでみてください。そして、語り合いましょう。













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