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夫婦別姓問題について考えてみたよ

2020年02月05日
考察 0
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情報管理LOGの@yoshinonです。
今回は、昨年から色々と議論がヒートアップしている夫婦別姓問題ですが、色々考えさせられたので、考えたことを書いていきたいと思います。
先に書いておきますが、私は「選択的夫婦別姓」に賛成の立場です。しかし、一方的にまくし立てるのは好みではないので、あくまで、論理的に詰めていきたいと思います。もし、読んでいただいて、「この部分の論点が抜けてるぞ?」とか、ありましたらご指摘いただければと思います。


  
【 選択的夫婦別姓問題について考えてみたよ 】  

 1.選択的夫婦別姓問題とは?

 2.個人・夫婦・家・社会という観点から

 3.反対派の論点

 4.論点整理による帰結








まず、選択的夫婦別姓問題とは何かということについてです。
夫婦別姓については、Wikipediaから引用します。


日本においては、現在、民法750条で夫婦の同氏が規定されており、戸籍法によって夫婦同氏・別氏が選択可能な国際結婚の場合を除き、婚姻を望む当事者のいずれか一方が氏を変えない限り法律婚は認められていない[14]。そのため、特に近年、別氏のまま婚姻することを選択できる選択的夫婦別姓制度を導入することの是非が議論されている[15][14]。なお、日本で夫婦同氏が定められたのは明治民法が施行された明治31年(1898年)からであり[16]、明治民法施行以前は明治9年(1876年)の太政官指令によって「婦女は結婚してもなお所生の氏(婚姻前の氏)を用いること」、すなわち夫婦は別氏と規定されていた[17]。


引用:夫婦別姓 - Wikipedia



民放が制定される前は、逆に「夫婦は別氏」と規定されていたというのは、逆に驚きましたね。そうだったのね。
ここにも詳しく載せられています。

法務省:我が国における氏の制度の変遷

民法750条では、どのように規定されているのでしょうか?

第750条
夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。


シンプルですね。
ようするに、結婚したらどちらかの姓にしなさいということですね。

この夫婦別姓問題でよく取り上げられる憲法14条とは、どのようなものでしょうか?
中学生の時に習ったままで忘れた人も多いかと思うので載せておきます。


第十四条
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。




「法の下の平等」という非常に重要な項目ですよね。
つまり、憲法14条の精神から考えると、「性別」をもとにした「社会的」部分において不利益を受けないことが保証されるべきということが分かります。まあ、そりゃそうだという至極真っ当なことが書かれているわけです。

憲法と法律や条例などの優劣関係は、このようになっています。

憲法>法律>政令(法施行令)>省令(法施行規則)>条例

民放は、法律の一つなので、憲法で保障されていることが侵害されているならば、憲法側に従わなくてはいけません。これが、逆転することはあってはならないのです。とはいえ、解釈によって、そうではなく見える場合もあったりするわけですが、大原則としてそうなっています。

実は、日本における戸籍上姓を選べる権利は、このようになっています。

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日本人同士の婚姻にのみ戸籍上の姓を選択できないという問題点があるのです。





夫婦別姓問題を考える際に観点として、「個人」「夫婦」「家」「社会」という四点から考えられるのではないかと思います。賛成派も反対派も、これ以外の観点はないように思えます。ちなみに、混乱を避けるために「家」というのは、血族または、ファミリー(家系)としての「家」を指すことにします。


これらの関係性を図示するとこんな感じ。

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そもそも論でいうならば、「姓」を必要とするのは、家と社会においての関係性において必要とされます。

・個人:自分は、自分であるという認識さえあれば十分なので名さえ必要ない
・夫婦:夫婦の間において必要とされるのは「名」だけで、「姓」は必要ない
    →お互いに姓では、呼び合わないでしょう?
・家 :互いの家系の認識に「姓」は、必要
・社会:社会から見ての個人である場合は、「姓」である必要はない
    →会社における社員の一人「◯◯さん」の◯◯は、「姓」である必要はないでしょう?
    社会的に認識すべき手続きにおいては、「姓」は必要
    →戸籍上誰であるかということを国が認識するのに必要であるということ

これを観察すると、「家」および「社会(国)」において、「姓」を必要とすることが理解できます。つまり、その人物がどのようなルーツに基づいた人間なのかということを保証する必要とする場合にのみ必要とするということです。

いや、会社だって様々な手続きで必要じゃないか?と思うかもしれませんが、その手続きの延長上の究極的に必要としているのは、社会(国)が必要としているからですよね?

一つ思考実験をしてみましょう。
これは、架空の社会の架空の文化上の制度だと考えてください。

その国では、子どもが生まれたら、一人一人に固有の番号が割り振られます。そして、その番号こそが、その国においての個人を認識するためのものなのです。その番号をもとに、国は税金を徴取したり、社会福祉を行ったりします。親兄弟、親戚それぞれが違った番号を持っていて、そこには共通するものを見出すことはできません。国は戸籍として番号で誰と誰が結婚し、誰が生まれたのかを、番号により記録しているのです。
しかし、国はそれでも良いのですが、社会生活を送るには、あまりにも長い番号なので、いちいち覚えてはいられません。そこで、「通り名」を個人が名乗ることが許されています。したがって、普段の生活では、通り名で生活します。

さて、これは架空の国のお話ですが、社会(国)が求めているのは、何だと思いますか?

個人と家族を識別し間違いなく管理できること

に過ぎませんよね。
「姓」というのは、あくまで便宜的に使っているに過ぎないことが分かるはずです。
おや?これは、マイナンバーのことでは?
と思った方は、鋭いですね。実は、マイナンバーが普及した世界では、もはや国が、「姓」を管理する必要性は、あまりなかったりします。

そう考えると、実は「姓」を絶対的に必要としているのは、割と狭いゾーンだということが理解できるかと思います。





さて、選択的夫婦別姓に反対している人たちの主張をみたいと思いますが、非常に多様性に富んでおり、なかなか要領を得ない感じなので、代表的な意見として公式に表明されているものを引用させていただきます。他の論点があったら、ぜひ教えてください。これは、参議院に請願として公式に提出されたものです。

選択的夫婦別姓の法制化反対に関する請願:請願の要旨:参議院

以下が、実際の請願書の文面です。
まあ、皆さん読んでみましょう。



(一)夫婦同姓制度は、夫婦でありながら妻が夫の氏を名乗れない別姓制度よりも、より絆(きずな)の深い一体感ある夫婦関係、家族関係を築くことのできる制度である。日本では、夫婦同姓は、普通のこととして、何も疑問を覚えるようなことはなく、何の不都合も感じない家族制度である。婚姻に際し氏を変える者で職業上不都合が生じる人にとって、通称名で旧姓使用することが一般化しており、婚姻に際し氏を変更しても、関係者知人に告知することにより何の問題も生じない。また、氏を変えることにより自己喪失感を覚えるというような意見もあるが、それよりも結婚に際し同じ姓となり、新たな家庭を築くという喜びを持つ夫婦の方が圧倒的多数である。現在の日本において、選択的夫婦別姓制度を導入しなければならない合理的理由は何もない。

(二)選択的だから別姓にしたい少数者の意思を尊重するために選択的夫婦別姓制度を導入してもいいのではないかという意見があるが、この制度を導入することは、一般大衆が持つ氏や婚姻に関する習慣、社会制度自体を危うくする。別姓を望む者は、家族や親族という共同体を尊重することよりも個人の嗜好(しこう)や都合を優先する思想を持っているので、この制度を導入することにより、このような個人主義的な思想を持つ者を社会や政府が公認したようなことになる。現在、家族や地域社会などの共同体の機能が損なわれ、けじめのないいい加減な結婚・離婚が増え、離婚率が上昇し、それを原因として、悲しい思いをする子供たちが増えている。選択的夫婦別姓制度の導入により、共同体意識よりも個人的な都合を尊重する流れを社会に生み出し、一般大衆にとって、結果としてこのような社会の風潮を助長する働きをする。

(三)家庭の機能として、次代を担う子供たちを育てるというものがあるが、選択的夫婦別姓制度導入論者は、夫婦の都合は述べるが、子供の都合については何も考慮に入れていない。一体感を持つ強い絆のある家庭に、健全な心を持つ子供が育つものであり、家族がバラバラの姓であることは、家族の一体感を失う。子供の心の健全な成長のことを考えたとき、夫婦・家族が一体感を持つ同一の姓であることがいいということは言うまでもない。


引用:選択的夫婦別姓の法制化反対に関する請願:請願の要旨:参議院


※改行は、筆者が入れました。

さて、読みましたか?
私は、しばし頭が痛くなりました。

では、主張の論点を整理していきましょう。おい、解釈が違うぞ?というのがあれば、ぜひともご指摘ください。

1.夫婦同姓制度は、絆を感じさせるものである
2.同姓制度は、定着しており、社会的に別姓にしたい場合は、通称として名乗っても問題無いし、一般化している
3.結婚に際し同じ姓となり、新たな家庭を築くという喜びを持つ
4.選択的夫婦別姓を希望しているのは、少数者である
5.選択的夫婦別姓は、婚姻制度や社会制度を危うくする
6.個人主義的な思想よりも共同体意識の方が大事である
7.別姓は、家族の一体感を失うものである
8.子どもの健全な育成には、同一の姓であるのが望ましい


主張のほとんどが、ナイーブな情緒的な内容であることが分かるでしょうか?
1、3、7は、特に情緒的なものでしかありませんね。
というか、全編を通して、あまりにも酷い内容で、閉口してしまいそうになってしまいます。





先ほどの論理性に乏しい1、3、7の主張に関しては、割愛します。1、3、7は、

それ、お前がそう思っているだけだろ?

という問題だからです。
一応、あとで反論を書きますが、まずは順番に2から

2.同姓制度は、定着しており、社会的に別姓にしたい場合は、通称として名乗っても問題無いし、一般化している

これは、その通りですね。
実際にそのようにしている人も多いですよね。


4.選択的夫婦別姓を希望しているのは、少数者である
これは、イマイチよく分からない理屈だと思います。少数者であるなら、黙殺して良いということになりますよね。昨今のLGBTの話題もそうですが、マイノリティーは、黙ってろ!ってことなのでしょうか?


5.選択的夫婦別姓は、婚姻制度や社会制度を危うくする
警鐘ということなのでしょうか?どのように危うくなるのかという具体的なことについては、


6.個人主義的な思想よりも共同体意識の方が大事である
につながっています。
個人主義的な思想が、共同体意識を破壊するからというのが

“共同体意識よりも個人的な都合を尊重する流れを社会に生み出し”

という一文に込められていますね。
はて?日本って、個人の思想信条の自由って認められていますよね?共同体意識ってなんでしょう?法を犯し、他者の権利や不利益を生じさせない限りは、個人の自由な意思や行動は認められているはずなのです。そもそもの主張の前提条件を疑わなくてはいけませんね。社会主義国に多く見られる論理かと思います。耳慣れない「共同体意識」という単語が出てきたので調べてみると、スピリチュアル系な語句がヒットします。どうやら、造語っぽいですね。

共同体意識 - Google Search

すでに、選択的夫婦別姓を認めている国がありますが、それらの国々は、婚姻制度が破壊されているわけでも、社会制度が危うくもなっていません。

そこで、他国の状況がどうなっているか調べた人がいるので見てみましょう。

夫婦別姓 各国の状況は?

これで、ほぼ決すると思うのですが、日本を除くほとんどの国では、選択的夫婦別姓または、夫婦別姓が認められています。
逆にこの論理展開では、日本を除くほとんどの国は、個人主義的な思想よりも共同体意識(?)が希薄であり、家族としての絆が崩壊してしまっているのでしょうか?
残念ながらそのようなエビデンスはありませんし、そのような話を聞いたことはありません。


8.子どもの健全な育成には、同一の姓であるのが望ましい
この論理も十分に破綻していますが、(2)において、


けじめのないいい加減な結婚・離婚が増え、離婚率が上昇し、それを原因として、悲しい思いをする子供たちが増えている。


引用:選択的夫婦別姓の法制化反対に関する請願:請願の要旨:参議院



と書いていますが、夫婦同姓の元で増えているのであって、別姓によって増えているわけではありません。このあたりの説明はなされていませんし、特段そのようなエビデンスが存在するわけでもありません。そもそも、夫婦同姓であれば「いいい加減な結婚・離婚」が無くなる(または減る)という論理的根拠が全くありません。もし、そうであるならば、日本を除くほとんどの国で「いいい加減な結婚・離婚」蔓延していることになってしまいます。

さて、先ほど説明を割愛した情緒的な論理展開についてですが、キーワードを見てみるとこのようになります。

・絆を感じる
・喜びを持つ
・(子どもが)悲しむ
・家族の一体感


選択的夫婦別姓反対派の論理の核となるのは、こういう情緒的キーワードを基にしています。これらのキーワードは、反対派の方々の個人的な主観や思い込みが発想のスタートとなっていることが分かるかと思います。
疑問形に直すと、これらが個人的主観であることが、よく理解できます。

・絆を感じるよね?
・喜びを持つよね?
・(子どもが)悲しむよね?
・家族の一体感を感じるよね?


そう感じる人もいるかも知れませんが、万人がそう思うわけではないのです。

あなたはそう思うかも知れないけれど、私がどう思うかは私が決める

という思想信条の自由を犯しかねないことを主張していることが分かるかと思います。

もう一度、整理すると。

選択的夫婦別姓反対派は、例外を認めず、個人が不利益を被るよりも全体としてのまとまりを主張

しているのに対して、

選択的夫婦別姓肯定派は、夫婦同姓制度を否定するものではなく、夫婦別姓の権利を選択できるように主張

しています。
そう考えると、反対派の方々は、非寛容的であり、個人としての不利益は全体の前では甘受すべきとも読めます。論理的根拠がなく、反対派の方々の情緒的側面のみがクローズアップされていると考えられます。




eyeglass2.png 情報管理LOGの眼
 我が家はどうだったか

我が家は、妻が私の姓を名乗るよう選択しました。しかし、その当時から「片方が、一方的に大変すぎる!別に別々の姓でも問題ないのではないか?」と主張していました。確かに書類の山、手続きの数々は非常に大変そうでした。もしも、今、選択的夫婦別姓ができるならば、別姓を選ぶかもしれません。
今回、選択的夫婦別姓反対派の方々の意見をたらふく読むことができましたが、前述のように非常に情緒的で他者侵害的なご意見が多いように思いました。たぶん、主張の根拠の根幹をなすと思われる「共同体意識」が破壊されるのではないか?という幻想的恐れを抱いているのだなと理解しました。しかし、他国の状況を見るまでもなく、そんなことは起こらないし、そもそも「共同体意識」ってなんだよ!と思ってしまいました。


冬物が、かなりお安くなっていますね。

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