メモは、スケールしたときが、本当の真価と問題に直面する
情報管理LOGの@yoshinonです。
皆さんは、メモ管理どうしていますか?
非常に悩ましい問題で、様々なサービスを渡り歩いている人も多いはずです。メモを管理するサービスは、数多あるし、出てきたときは「すごいサービスだ」と思っても、使い込んでいくと苦しくなるという経験をした人は多いのではないでしょうか?
今回は、メモはスケールし始めたときこそ、真価と問題に直面するぞ?ということについて書いていきます。
【 メモは、スケールしたときが、本当の真価と問題に直面する 】 1.現れては消えていくメモ管理 2.どんなツールも最初は良いのよ 3.1万の壁を超えるか 4.スケールしたときこそメモの価値は高まる |
少し前までは、メモ管理については、次々に新しいサービスを試しまくっていたのですが、ここ数年は、徐々に食指が動かなくなってきています。年を取ってしまったからか…というのもありますが、新しいサービスにひょいひょい飛びついても得られるリターンの少なさにがっかりする割合が高くなってきているのですよね(自分的に)。
Notionが良いよ
いやいやObsidianが、ノードを構築していけて脳内のつながりが見やすいし
Roam Researchが生のテキスト使えるしいいよ?
Scrapboxの方が、自然にリンクが生成されていって、メモの価値が高まるよ。
いや、WorkFlowyのようなアウトライナーがアイデアの整理で最高だよ
やっぱり、何だかんだ言ってEvernoteでしょ。
エトセトラ、エトセトラ…。
…少々疲れてしまいました。
上記で挙げたサービスは、概ね使ってみました。そして、未だに使っているのもあります。でも、サービスを使っているのではなく、サービスに使われている感覚が嫌になってきたのです。
メモをする主体は「私」で「サービス」じゃない
と至極当たり前の結論に至るのですよね。
とはいえ、今後も新しいサービスは出続けるでしょうし、メモの管理を考える際に様々なファクタを考えなくてはいけなくなるのでしょう。その時に一つの目安となる考え方を構築した方が良いと考えました。
さて、現れては消えていくサービスの数々ですが、それらのサービスを制作している人達は、
「これは、とても使いやすいサービスである」
という自負を込めてリリースしています。
当然、どのサービスも一長一短ではありますが、それでも「ここは素晴らしい!」と思えるポイントが見つかるはずです。
で、実際使い始めると、
「これは、使い勝手がよい」
とか
「探し求めていた機能がある!」
などと思うわけです。
実際、そうやって今まで様々なサービスを使ってみると、そのように感じます。さらに使い込んでいくと、
「これは、手放せない」
などと、さらにそのサービスへの依存度が上がっていくこともあります(当たり前だけど、そうなるサービスはとても少ない)。
しかし、Apple文体風に言うと
「そう、最初はね」
となっていくのです。
ここで大事なことを書いておくと、ほとんどの場合ゴリゴリ使っていけばいくほどに、徐々に破綻していきます。
Apple 風文体の力を、あなたにも。
紙でメモを取っていた時代は、どんなに多くても数百レベルで終始していました。そもそも大量のメモを取っておいたとしても、それを検索することも難しく、単にストックするだけに留まりました。
しかし、デジタルに移行してからは、その上限のリミッターは完全に取り払われ、数百どころから万単位まで普通に溜まってしまうようになりました。やはり検索できることであったり、物理的な障壁がなくなることで誰しも大量のメモを抱えることが可能になったのです。
人間の歴史を紐解いてみても、個人レベルでこれほどの大量の情報を保持することはなく、誰しも経験したことのない状況に突入しています。だからこそ、情報整理術的なことが度々話題に上がるのは、かつてない状況に戸惑う人が多いからだと言えます。
個人的な経験として、メモ管理に関していくつかのマイルストーンがあります。
「1000の壁」と「10000の壁」です。
「1000の壁」は、アナログツールも含めて、1000個レベルの情報を扱うときに訪れる使いづらさを感じる壁です。ちょっと考えたら分かると思うのですが、メモ帳に1000個の情報が入ったと考えたときに、それを使いこなすことは容易ではないと気づきますよね?同じように様々なメモ管理サービスに委ねたときに、まずは1000個入れるようにしています。そうすると、すぐさま破綻するサービスやアプリがたくさん出てきます。検索することが難しかったり、もっさりと重くなってしまい使い勝手に関わる部分が極度に低下する症状が出てきます。
個人的な感想としては、最低でも「1000の壁」を超えられるサービスではないと常用できないと判断しています。
次なる大きな壁は、「10000の壁」です。
実は、ここを超えることができるサービスは、あまり多くはありません。これだけ大量の情報は、もはや人間が普通に扱える情報量のキャパを超えてしまっていると思います(1000でも実質厳しいと思う)。したがって、完全にシステムに依存しないと、それらの情報を活かすことができなくなります。そのため、10000以上の情報を飲み込み、吐き出すことができるサービスが望まれます。好きなときに貯めることができ、好きなときに取り出すことができるというのが、最低求められる機能だと思いますが、それらを満たすことができるサービスは、非常に少ないです。
私のEvernoteを見てみると、本日段階で30000を超えるノートが存在します。
そういう意味では、色々批判の多いEvernoteですが、希有なサービスの一つですね。
人間の保持できる情報のキャパを超えて情報をストックしておく意味はあるのか?という根本的な問題もありますが、私個人的にはあると思っています。アナログ時代は、ノートのシステムをいかに改良しても、最終的には人間の脳に頼るシステムになっていました(どこらへんにあるのか?と思い出すことも含めて)。
しかし、デジタルに移行してからは、もはや脳に依存しなくても良くなりました。どこに何が入っているかを、脳が覚えておく必要が低下しました(必要が無いわけでは無いです)。だから、自分のメモを振り返ったとき、完全に忘れていることもあり、自分のメモであるにもかかわらず、他者のメモを見るように出会うこともしばしばです。
まさに、10000万の壁は、そういうことが頻繁に起こる世界に移行することを意味します。
しかし、私はここにこそ価値があると考えています。
そのメモをしたときは確かにそれを
「残すべき情報」
と認識していたにもかかわらず、人間の脳のキャパを超え、忘れ去られてしまったとしても、確実にそこにはあるということが大事なのだと思うのです。
人間は、日々アップデートし、変化し続ける生き物だと思っています。したがって、変化し続ける価値観自体のアーカイブとしてメモを残すことに意義があると考えています。
メモのストックがスケールし、生身の人間では対応できないサイズになったとしても、その中身は確実にあなた自身の価値観の痕跡に他ならないからです。
そして、アーカイブされた情報が、かつての人類だったら単に「忘れ去られる」だけで情報の痕跡さえも残らない状態だったのが、いつでも参照可能になることで、新たな価値を生む可能性を未来に残すのです。
スケールしたときこそ、かつての人類が手にしたことのない情報のつながりとネットワークが意味を持ち始めるのです。インターネットが、人類にとっての知のアーカイブになりつつあるように、個人にとっての知のアーカイブとしての価値を持つのです。
情報管理LOGの眼
手に届く範囲とお釈迦様の手の平
手に届く範囲とお釈迦様の手の平
私たちが日常生きていくには、たぶん数百レベルのメモでも十分ではないかと思っています(何ならもっと少なくても良いと思う)。これは、確実に手が届く範囲の安心できるコントロール可能な情報と言えます。でも、スケールしたときの情報の有り様は、まるでお釈迦様の手の平の上にあるみたいな感じです。当たり前ですが、自分がストックした情報であるので、そこに価値を見出していた自分が(その時点では)確実にいたわけです。それを、検索なりリンクなりで再び出会ったときに、「こんな所に大きな山が!」と思ったら、それはお釈迦様の手の指であったみたいな感じです。だからこそ、私はスケールすることに意味があると思っているのです。
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