TOP > 考察 > title - 宮崎駿と東京タラレバ娘

ITやモバイル機器、iPhone、手帳や本など。
MENU

宮崎駿と東京タラレバ娘

2016111600.png


情報管理LOGの@yoshinonです。
先日のNHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」ご覧になりましたか?私は、興味深く見させていただいたのですが、各所で炎上しているみたいですね。
実は、私は別の部分でやや腹が立っていました。今回は、情報管理LOG番外編ということで、番組を見て思った事などを書いていきます。なぜ?タラレバ娘って?読めば分かります。


  
【 宮崎駿と東京タラレバ娘 】  

 1.NHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」とはどんな番組だったのか?

 2.タラレバで見てしまう日本人

 3.ベンチの外は次の試合が始まっているのです







checkmark.png 1.NHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」とはどんな番組だったのか?

先日、放送されたNHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」という番組が、様々なところで反響を呼んでいます。

NHKドキュメンタリー - NHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」
NHKドキュメンタリー - NHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」






特にドワンゴの川上会長が、宮崎駿に人工知能を使って、自動で生成される生きものっぽい何か(でも人の形をしている)をプレゼンし、「動きが気持ち悪い」とか「ゾンビゲームか何かに使えるのではないか?」という発言をしました。それに対して、宮崎駿は、自分の知り合いである身障者の方を思い出し「極めて不愉快」という言葉でバッサリ切っていたというものでした。

このやりとりに関しては、こちらがコンパクトにまとまっていて読みやすいかも。

宮崎駿監督、ドワンゴ川上量生会長を一喝「生命に対する侮辱」
宮崎駿監督、ドワンゴ川上量生会長を一喝「生命に対する侮辱」





番組全体の構成としては、引退を宣言してアニメーションスタジオなどを全て閉鎖して隠居していた宮崎駿が、短編のアニメーションを作りたいというところから始まります。その中で様々な人が関わりながら、3DCGを使ったアニメーションを模索していきます(川上氏が出てきたのは、その流れの一つに過ぎない)。そうして、短編アニメーションの構想を練っているうちに現役魂が、少しずつ復活してきて、最後には長編アニメーションをやるかも?というところで番組は終わります。ざっくり書くとこんな感じです。

ネットで騒がれているのは、この一部分がけっこう大半を占めているようなのですが、私は別の観点でイラっとしていました。






checkmark.png 2.タラレバで見てしまう日本人

何にイライラしてしまったのかというと、この番組全体に対してなのです。
あえて、1行に凝縮して言うならば、

なんで、宮崎駿なの?

ですね。
わざわざ、引退した人を訪ねて、この番組は何を求めているやら…というのが、正直なところです。

さて、東村アキコさんの「東京タラレバ娘」という漫画を読んだことはありますか?




このマンガを読んだうちの奥さんの反応が、

「マジでホラーなんですけど…」でした。

実際は、グロいホラーマンガでもなんでもなく、33歳独身女性3人組を主人公とした物語なのです。
この3人が、

あの時、○○だったら

あの時、○○していれば

(彼がおしゃれだったら、彼を振っていなければ、プロポーズを受けていればetc,etc)

と、なじみの居酒屋で、いつもくだを巻いていて飲んでいたら、若いモデルの男の子に

「いい歳して『痩せたら』だの、『好きになれたら』だの、何の根拠もないタラレバ話でよくそんなに盛り上がれるもんだよな。オレに言わせりゃあんたらのソレは女子会じゃなくてただの…行き遅れの女の井戸端会議だろ。まあいいよ、そうやって一生女同士でタラレバつまみに酒飲んでろよ!このタラレバ女!!」

とまあ、かなりキツイことを言われてしまいます。
そこから、怒濤のごとく現実を嫌と言うほど噛みしめながら前へ進んでいくという話です。身も蓋もないけど、その身も蓋もなさがウケてるのかもしれません。

それが、この番組を見て感じたことと似ていたのです。

宮崎駿が、やる気を出したら

宮崎駿が、新作を出したら

宮崎駿が、今も続けていれば


という制作者サイドの「タラレバ」が透けて見えてくることに苛立ちを感じたのです。
または、想定する「視聴者は、そういうタラレバがあるでしょう?」という感じに。





checkmark.png 3.ベンチの外は次の試合が始まっているのです

東京タラレバ娘でこんなシーンがあります。それは、自分たちが、「あんな男と結婚して」とか「あんな容姿の男なんて」などと、ずっと人のことを揶揄してばかりで、自分たちは表に立って向かい合っていなかったということを、このように例えていました。
ベンチにいてヤジってばかり。

2016111601.png



しかし、いざバッターボックスに立ってみると、全然戦力外だったという…。アイタタタ。

2016111602.png



私は、宮崎駿がそうだと言っていません。むしろ、映像の中の宮崎駿は、自分の中で思う新しいことにチャレンジしようとする心をもっていました。むしろ、手塚治虫がライフワークとして取り組んでいた実験映画のように常に新しい表現を模索し、チャレンジしているように思えました。






だから、それ自体は一作家としての生き方としては、それで良いのでは無いかと思います。

しかし、彼はもうすでに公式に引退したのです。彼自身も(それが本当に辞めるつもりがあったのかどうかは分かりませんが)宣言すらしたのです。

むしろ、外野(ベンチ)でやいのやいのと騒ぐ必要すらないと思ったのです。彼が、自分の表現を追求し何らかの作品を創り上げ、もしも公表することがあったならば、その時に注目したら良いのではないかと。

そうやって、番組でタラレバやっている間にも、バッターボックスには新しい作品達が勢いをもって発表され続けています。一度成功した者の影を追い続けることは、決して豊かなものにつながりはしないのではないか?と思ってしまったのでした。
過去の栄光にすがることなく、新しい作品にどんどん向かい合っていきたいですね。

というわけで、これは観に行きたいなと思っています。



…あっ、ステマじゃないですから!






 eyeglass2.png 情報管理LOGの眼
 スポーツでもよくそういうの見るよね

外野が、タラレバ言っているものに、スポーツでもそういうの多く見ますよね。「それ何年前のコトよ?」とか、「他の選手の方が、頑張っているのに、未だにそっちを撮すの??」とかとか。

あれかな?制作サイドは、日本人は昔の栄光にすがりやすいとか思っているのかな?
だとしたら、そうでもないと自分は思うのですけど、視聴率とかを分析していくとそういう結果になっているからなのかな?とモヤモヤしてしまうわけです。






宮崎駿の「風の谷のナウシカ」の原作は、真面目に面白いのでオススメです。



関連記事

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

trackbackURL:http://hokoxjouhou.blog105.fc2.com/tb.php/736-90960be6
該当の記事は見つかりませんでした。
SEO
loading
情報管理LOG